才能がない場合は、ひたすら努力してもらわなければなりません。問題は、才能はあるのだが、その才能が埋もれてしまっているケースです。こちらの方が、正直に言って問題です。
才能はあるのに結果をなかなか出せない人ってたくさんいます。よくケイコ場の横綱とか練習試合の金メダリストなどというたとえが使われますが、これらは要は“本番”に弱い、ということを言っているのです。素質があってケイコ場で強いのになかなかいい結果が出せないという相撲取りはたくさんいます。その典型が大関の魁皇でしょう。魁皇は素質からいえばとっくに横綱になっていてもおかしくはない力士です。しかし、現実は大関止まりです。魁皇は右上手を取ったらおそらく一番強いでしょう。しかしながら、相手力士もプロなので、なかなか得意の右上手を取らせてはくれません。ということで、得意の右上手を封じ込められてしまうことで、結局のところ自分の本来の“実力”を出せないのです。そのために結果が出ない、ということです。いくら才能があったとしても、それが出せないということは、才能が生かされていないということです。
かつて“怒れる若者の季節”と呼ばれる時代がありました。1960年代後半のことです。この時代に選ばれたアーティストが岡林信康であり、時代が必要とした歌が岡林の「友よ」でした。
続く70年代。70年代安保自動延長。それに伴い、挫折感がたくさんの若者たちの心を包んでいきました。そんな時代に選ばれたのが吉田拓郎であり、必要とされた歌が彼の「結婚しようよ」でした。
80年代になると、バブル時代となり享楽の果てに、全ての物差しが“お金”の世の中になってしまいました。この時代に選ばれたのが尾崎豊であり、必要とされたのが彼の「卒業」でした。
さらに90年代になると、バブルがはじけ、終身雇用制度が崩れ、就職氷河期を迎えました。そんなファジーな時代に選ばれたのがZARDであり、必要とされたのが彼女の「負けないで」でした。
このサプライズ・ゲストを仕掛けたのが、長野高校の同級生で現在、信越放送でテレビ局長を務めている麻山智晃君です。彼とは長野に行った折に時々飲む仲ですが、実は今回の一件には“伏線”があったのです。
音楽業界において今、新人アーティストたちはきびしい氷河期を迎えています。というのは、CDが売れないという時代において、レコード会社には余裕がありません。だから、バブル期のようには、新人アーティストの育成にお金をかけることができないのです。バブル期においては、新人アーティストとの契約にあたっては、最低2年間でアルバム2枚、シングル4枚という保証をしたうえに、契約金、助成金を含めると数千万円から1億円ぐらいは投資をしてくれたものです。当然のことながら、2年間という猶予期間があるうえに、シングルも4枚は最低リリースできるので、当たる確率も高いということです。しかしながら、氷河期の今は、そんな猶予期間は与えられないどころか、よっぽどのことがないかぎり“単発契約”があたりまえです。
時代は確実に“家族崩壊”へと突き進んでいます。そんな時代だからこそ、“家族”をテーマにした歌が必要とされているのです。その代表がすぎもとまさとの「吾亦紅」です。この歌は、すぎもとさんが亡くなった自分のお母さんのことを歌ったものですが、この歌を聴いて心のどこかがズキンと疼く人はたくさんいるに違いありません。「吾亦紅」は間違いなく“家族愛”の歌です。





