人は誰も気にしながらも、その場の雰囲気に圧倒されてか、なぜか聞けないものです。しかし、だからと言って、聞いておかなければならないことを聞かないで先送りにしておくと、必ずといっていいほど、そのことがノドに刺さったトゲのように後々まで引っかかってしまうのです。
なぜ私たちは、聞いておかなければならないということがわかっていながら、それができないのでしょうか? おそらくそれは、核心に触れる微妙なことなので、相手を刺激させてはまずいとか、相手の機嫌を損ねてはまずいとかと勝手に判断して遠慮してしまうからです。遠慮して避けておけば、話はさしてもめることもなく和気あいあいの雰囲気のうちに終わります。お互い、うまくいったようだ、と感触はいいようです。しかしながら、お互いが引っかかっているところがあります。ノドに刺さったトゲのような引っかかり、それこそがお互いが聞かなければいけないところ、つまり、どちらがどうするのか?と真剣に詰めなければいけないところなのです。
基本的に私は昼食時間帯に電話はしないことにしています。自分がされて迷惑なことは相手にもしないと考えているからです。何事も相手の立場に立って考えてみたら、自分がどうしたらいいのか、わかるというものです。
しかしながら、いちがいに説明不足ばかりを責めていいのでしょうか? なぜかと言うと、確かに説明不足はいけません。当然、説明をしなければいけないことはきちんと説明をして責任を果たすべきです。このことに関してはまったく異論はありません。
ではなぜ、つい言いたくなってしまうのか、と言いますと、説明責任が問われるならば、それに対する“理解義務”も当然生じるのではないか、と考えるからです。この頃つくづく感じることは、こちらが説明をしたつもりでも、若い人には伝わり切っていない、ということです。たとえば、「○時半頃に改札口で…。後で電話するから…」と言ったとしましょうか。もちろん、何度も言っていることですが、こちらは、今出かけているので正確な時刻がわかったら電話をするのでスタンバイしておいてくれ、と思っています。だから、当然のごとく、正確な時刻が出たときに電話をして「では○時半に改札口で…」と電話をかけます。しかしながら、電話には誰も出ません。彼らは改札に向かって出発してしまったからです。
阿久悠さんは、実績において“史上最強”の作詞家だった、と言っていいでしょう。歴代作詞家のシングル売り上げ枚数はダントツの1位で実に6818万枚です。ちなみに2位は松本隆で4946万3000枚、3位が小室哲哉で4126万7000枚です(※オリコン調べ)。他にもナンバーワン・ヒット獲得回数22曲、レコード大賞受賞5回など音楽界の“数字”は何をとっても阿久さんが“1番”です。それが、“史上最強”の所以です。
では、なぜ阿久さんの詞がこれほどまでにたくさんの人々から支持を受けたのでしょうか。私はこんなふうに考えています。
「頭がいい人、悪い人の話し方/樋口裕一」「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?/山田真哉」「国家の品格/藤原正彦」などのミリオンセラーを筆頭に、「美しい国へ/安倍晋三」「ウェブ進化論/梅田望夫」「下流社会/三浦展」「女性の品格/坂東眞理子」など続々とベストセラーが誕生しています。今や新書本はベストセラーの量産工場と言っていいでしょう。
新書本のマーケットが活性化されたのはここ3、4年のことですが、タイムリーな話題をテーマにして掘り下げて、読者に知的興味を持たせるには、ちょうど手頃なハンディタイプ本と言えます。私も毎月何冊か買っていますが、買おうと思わせるポイントは、知っておきたいテーマかどうか、です。知って得するお得感、知っておくとうんちくをたれることができる知的探究心など様々です。
私は書店に行ったときは新書本のコーナーに立ち寄り、毎月発売される新刊を必ずチェックするようにしていますが、いつも不思議に思うことは、音楽をテーマにした“音楽本”が少ないということです。あったとしても、クラシックかジャズの名曲解説本であり、いわゆるロック、ポップス、R&B、ヒップホップなどの“J-POP”をテーマにした音楽本は皆無に等しいということです。


