この格言には2通りの意味がある、と私は勝手に解釈しています。ひとつは、ひとつひとつは取るに足らない塵でも、それがたくさん集まると山のようになって価値観を持つということ。もうひとつは、ひとつひとつは取るに足らない塵でも、たくさん集まると山のようなジャマな存在になってしまうこと、です。最近、私は後者の“ジャマ”な存在に閉口しています。
では、大きな“流れ”を読むためにはどうしたらいいのでしょうか? そのためには正しい情報を得ることが重要です。正しい情報とは何かというと、何事においても、その“流れ”を作り出すキーマンが必ずいるのです。ですから、このキーマンが何を考えて、何をしようとしているのか?をキャッチしなければなりません。当然のことながら、絵を描く人はいるのです。青写真といってもいいですが、青写真を描く人がキーマンです。そして、キーマンには必ず側近がついています。側近はキーマンから相談されることもあるでしょうが、側近の側近たる由縁は、キーマンが何を考えて何をしようとしているのか、を知らされているということです。従って、側近から重要な情報は意図的に流されてくるのです。ということは、貴重な情報を得るためには、ずばりキーマンその人を知るのが一番確実な方法です。それができなければ、二番目は側近から情報を得ることです。しかしながら、キーマン及びその側近から情報が得られない場合はどうしたらいいのでしょうか? ほとんどの人の場合は、このケースだと思いますが、この場合は、どの業界にも存在する“情報通”の人から情報を得ることです。
とにかく“すごい歌”です。いい歌はたくさんありますが、「すごい!」と思わせる歌はそうざらにあるものではありません。すごい歌とは何か、と言うと、歌が現実を越えているのです。私たちが潜在下で思っていること、つまり、自分では気づかない本音を、歌にしてズバリと見せてくれるのです。そんな歌を聴いたとき、私たちは「これは私の気持ちそのままだ」と感じて共感を覚え感動するのです。換言すれば、歌で表現されている本音が現実を超えていて、リアリティーをおびているのです。
「吾亦紅」はまさしく歌が現実を超えています。これはすぎもとまさとさんが亡くなった自分のお母さんのことを歌ったものですが、この歌を聴いて心のどこかがズキンと疼く人はたくさんいるに違いありません。「吾亦紅」は間違いなく“家族愛”の歌です。
ないものねだりといえば、私もそんな中のひとりです。私の場合は、最近は特にゴルフにおいてです。平均アベレージが100前後というヘボ・ゴルファーですが、スコアはおいておいて、私のコンプレックスはドライバーが見事なまでに飛ばないということです。思い切り芯を食って、やっと200ヤードと言ったところでしょうか。ですから、飛ばす人には40ヤードから60ヤードもおいていかれてしまいます。ドライバーを打って、2打目を打つとき、あまりの飛距離の差にガク然とさせられるのは、みじめ以外の何物でもありません。飛距離が出ない、ということは、何でこんなにみじめなんでしょうか。男のプライドか何かわかりませんが、とにかくスコアのことはおいておいて、まずはドライバーの飛距離の差で“勝ち組”と“負け組”に分かれてしまうのです。残念ながら、私は“負け組”のひとりです。


