この映画の原作は千春の自伝『足寄より』(扶桑社刊)です。この自伝は「季節の中で」の大ヒットで世の中に出るまでの千春の生きざまを赤裸々に描いてベストセラーになりました。本編は、この原作をもとに、千春が<全国フォーク音楽祭>というアマチュア・フォーク・コンテストに出演したときに出会ったSTVラジオの故・竹田健二ディレクターと二人三脚で歌を作り、デビューを果たし、北海道で人気を得て、いよいよ全国へ飛び出そうとする短期間のことをドラマティックに描いています。赤貧洗うがごとくの生活環境に育った千春が、ローカル新聞社を経営する父親の手伝いをしながら“歌”という自分の“夢”を追い求めていく生きざまが、故郷・足寄町の大自然を背景に、親、家族、友だち、そして竹田さんをはじめとする仕事仲間との葛藤を経ながら形になっていくさまには鬼気せまる迫力が感じられます。
この本が発売になったのは去年の9月のことですが、今年になってから口コミで広がり、春頃から増刷を重ねるようになりました。その頃から、私も気になっていた本でしたが、手に取ってパラパラと見るくらいで、まだ買う気にはなりませんでした。ところが、6月になった頃でしょうか。この本の売れ行きに拍車がかかったのです。ベストセラーの上位にランクインされるようになって、書評でもひんぱんに取り上げられるようになりました。そこで私は、これは買わなければならないと思って買うことにしたのです。しかし、始めの20ページくらい読んでそのままにしておきました。なぜならば、この本がどういうものなのか、つかみきれなかったからです。帯の表紙にはこんなキャッチコピーが書かれています。<夢をなくしたサラリーマンと関西弁のゾウの神様が繰り広げる、「笑えて」「泣けて」「タメになる」全く新しいエンターテインメント小説。>
ということは、この本は小説なのか、と思いました。しかし、普通の小説ではないようです。では何かというと、よくある“生き方本”でもあるのです。かといって、よくある“生き方本”、“ハウ・ツー本”とも違っています。つまり、私にはこの本が何であるのか?つかみきれなかったのです。それで20ページ程読んで、そのままにしてしまったのです。それから1ヵ月程経ったでしょうか。この本がテレビ・ドラマ化されることが決定したことで、売れ行きにさらに拍車がかかってミリオンセラーになってしまいました。なぜこんなに売れるんだろうか? そんな興味が再び湧いてきたので、再び読み返すことにしたのです。そうしたら、面白いのなんのって…。
予想以上に曲がついたら言葉が生きてきたところは「あの頃の夢が暴れ始める 人生のズレが痛む」というところです。特に“夢が暴れ始める”というフレーズは曲がついたことで“言葉”に命が宿ったというか一気にイメージがふくらんできました。だからこそ、というべきでしょうか? このフレーズと対をなすワンコーラス目の「あの頃と今の自分の間の 微妙なズレが疼く」の“微妙な”が気になってしまうのです。言葉としては“微妙なズレ”としか言いようがありません。“かすかな”でも“わずかな”“ふとした”でもありません。あくまでも意味的には“微妙な”がぴったりくるのですが、いかんせん曲に乗らないのです。イメージがふくらむどころか違和感を感じてしまいます。さて、どちらを取ったらいいでしょうか? 曲の乗りが悪くても言葉の意味を取るか? それとも……。いろいろと考えました。その結果、曲の乗りを取ろうと考えた私は、必死になって“微妙な”に変わる言葉を捜しました。そうこうしているうちに言葉数が一文字足りないことに気がついたのです。“人生の”ズレは5文字なのに対して、“微妙な”ズレは4文字です。1文字足りないから乗りが今いちなのです。だとしたら、5文字で意味が合う言葉を捜せばいいということです。その結果、“埋まらない”ズレという言葉を見つけました。この言葉をメロディーに乗せてみるとぴったりとはまりました。「よし、これでいこう」。そう思って詩を直すことにしました。
渋滞の状況を思い出して下さい。夏休み中はどこへ行っても渋滞です。特に高速道路で渋滞に巻き起まれてしまったらどうしようもありません。逃げるところがないからです。こんなとき人はどうしているでしょうか? たいがいはいらいらして過ごすことでしょう。しかし、いくらいらいらしてもどうしようもないのが渋滞だからしかたがありません。だとしたら、気持ちを切り換えるしかないのではないでしょうか? いくら泣いても笑っても、渋滞で前になかなか進めないという状況に変わりはありません。かといって、車から外へ出ることもできません。だとしたら、車の中にいて何ができるのか?ということを考えるべきです。さて、何ができるでしょうか?
<前略。電話では失礼しました。その折にお話しました作曲依頼について少し詳しく説明したいと思います。私の今のテーマは“人生のズレ”を直すということです。どういうことかと言うと、“あの頃”のぼくがめざしていた“ぼく”と、現在の“私”との間には微妙なズレがある、ということです。だとしたら、その“人生のズレ”を直すには“今”しかありません。私には今“心の声”が聞こえています。“あの頃のぼく”が今の私に問いかけてくるのです。
「お前の夢はかなったかい?」「俺の夢は眠っていないか?」と。
この“心の声”を聞いたとき、私は自分自身に問いかけなければなりません。「自分自身を生きているだろうか?」
おそらく、この心情は私だけのものではないだろう、と思います。私と同世代の人たちにとってのまさに“心の声”なのです。だからこそ、私はこのメッセージを発し続けなければなりません。それが“書き手”としての“使命”だと感じているからです。




