大滝さんは先見性に満ちた“先駆者”でした。今や当たり前のように存在している“日本語のロック”ですが、ロックがまだ洋楽のコピーでしかなかった1970年代当初に、大滝さんは細野晴臣さん、松本隆さん、鈴木茂さんと伝説のロック・バンド「はっぴいえんど」を結成して登場し、“日本語によるロック”を提唱しました。英語に比べるとロックのリズムに乗りにくい日本語を、松本さんが「です」「ます」調の歌詞にあえて変え、そこに斬新なメロディーを乗せたのが大滝さんでした。こうしたチャレンジと実験を繰り返した結果、確立されたのが“日本語のロック”。つまり、今、日本のロックが隆盛を極めていますが、その先駆者が大滝さんだったのです。
プロデューサーとしても名伯楽ぶりを発揮しました。「はっぴいえんど」解散後、「ナイアガラ」レーベルを創設して、プロデューサーとして、山下達郎さん率いるバンド“シュガー・ベイブ”を手がけ、山下達郎さん、大貫妙子さんなど若い才能を発揮して世の中に送り出しました。また、当時は広告音楽にしかすぎなかった“CMソング”をレコード化(三ツ矢サイダー)して、ひとつの作品レベルにまで引き上げるという功績を残しました。
CD普及の牽引車としても特筆されます。81年にリリースされたソロ・アルバム「A LONG VACATION」がミリオンセラーとなりました。同作品は日本で初めてCD化された作品ですが、このアルバムの大ヒットでCDを一気に普及させた功績は大きいと思います。
さらに作曲家としてもヒット曲を多数生み出しました。しかも、松田聖子さん「風立ちぬ」、薬師丸ひろ子さん「探偵物語」、森進一さん「冬のリヴィエラ」、小林旭さん「熱き心に」などアイドルから演歌・歌謡曲まで、ポップセンスあふれるオシャレなヒット曲を量産しましたが、これらは今スタンダード・ナンバーとして残っているところがすごいのです。
日本のロックやポップスが欧米の音楽に負けないものになるために、欧米音楽に精通して、それをベースにした〈ジャパニーズ・ポップス〉を確立した大滝さん。彼の“先見性”に満ちた“先駆者”としての活躍があったからこそ現在の日本の音楽シーンが存在しているのです。その意味では、大滝詠一さんはまさに〈キング・オブ・ポップス〉と言える偉大なアーティストです。
そんな大滝さんの音楽的知識に関するエピーソードを最後に紹介しておきましょう。大滝さんはレコード・コレクターとして横綱級でした。大滝さんはエルビス・プレスリー以降、1950年代後半から60年代前半のアメリカン・ポップスをシングル盤で3千枚以上、LP盤で2千枚以上のコレクションを持っています。71年に文化放送のシングル盤放出の時に買い求めたものがコレクションの母体となっていますが、中央線沿線にある中古レコード店をリュックサックにスニーカー姿で歩きまわって一生懸命集めたということです。それらのレコードを聴き込んで研究して自分のオリジナリティー曲を確立したということは想像に難しくありません。
はっぴいえんど時代から何度か取材させていただきましたが、決して妥協をしない人というのが印象に残っています。彼の取材のときは世間話だけではなく、こちらも知識がないとダメでした。そんな豊富な音楽的知識の積み重ねの上に大滝詠一さんの“色あせぬ本物の音楽”は存在しているのです。大滝さんのポップスは、瞬時に心を奪う、浸食するメロディー、サウンドで、言葉では語りきれない、時代を超えて歌い継がれる日本が誇るスタンダード・ナンバーなのです。大滝詠一さんのご冥福をお祈りします。
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