とはいっても、現実においては否応無しに戦う気力が萎えてしまうことは多々あります。たとえば人間関係においてです。上司との関係、先輩との関係、同僚、はたまた恋人との関係、親子関係、夫婦関係……と、私達は人間関係でいつも悩まされ続けています。これは人間として生きる以上しかたのないことかもしれません。
おそらく、いじめを受ける側は、そんな戦意喪失状態、つまり“戦う気力”を失っているのではないでしょうか。だから、いじめを受けても戦わないで嵐が過ぎるのをひたすら耐えて待っているのです。戦いたくても、戦う気持ちが萎えてしまっているので、もう戦えない。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか? 戦っても何も変わらない、ということを知ってしまい、逆らうことを放棄してしまったからです。でも、これで本当にいいのでしょうか?
嵐は黙って耐えていれば必ず通り過ぎます。でも、また必ずやって来ます。結局はこの繰り返しです。この嵐の繰り返しを断ち切るためには、もう一度勇気を出して戦うしかないのです。確かに戦うということは面倒臭いし、勇気のいることだし、疲れることです。そのためか、誰しも戦いはできることならばさけたいことです。しかしながら、だからといって“戦う”ことから逃げていたならばストレスはたまるだけです。
戦う気力があったときの“初心”に戻って下さい。誰にも戦ったときはあるはずです。あのときなぜ戦ったのか? それは「これではいけない」と思ったからです。「これではいけない、こうあるべきだ」。そう思ったからこそ戦おうと思ったんです。そんなときの自分の“初心”を思い出して“原点”に立ち返るべきです。“戦う気力”を失くした人間にだけはなってはいけません。戦うところから“自分”というものが確立するのです。

