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どこで暮らしていても心の故郷はいつも母。 

 “母の歌”を集めたコンピレーション・アルバム『母への歌』を聴いていると、ふと今年の3月に90歳になった“おふくろ”のことを思い出してしまいました。
 「聞こえないよ。何?」
 受話器から聞こえる母の声は決まってそんな言葉です。
 「おばあちゃん、元気?」
 「はあ? 何だか聞こえないから、もう切るよ」
 いつも一方的に電話は切れてしまいます。耳が遠くなったおふくろですのでしかたがないとはいえ、息子としては一抹の淋しさを禁じえません。しかしながら、本音を言えば、淋しいけれどもそれだけでもう満足なのです。おふくろの声を聞いていると、思わずおふくろと一緒に過ごした幼い日々のことが蘇ってくるからです。
 私は長野県の須坂市という風光明媚な所で生まれ、高校を卒業するまでそこで育ちました。目を閉じると脳裏のスクリーンに故郷の山なみや川のせせらぎの音が鮮明に映ります。戸隠、飯綱、妙高、黒姫、斑尾の北信五岳の山なみが連なり、さらに北アルプス連峰がギザギザの頂を誇らしげに見せてくれています。角度をずらすと菅平、横手山、志賀高原、高社山などが見え、360度山々に囲まれています。また家から10分も歩くと豊かな水をたたえた千曲川が雄大におごそかに流れています。その川のせせらぎの音を聞くと水遊びをしていた少年時代の遠い夏の想い出がつい昨日のことのように思い出されます。
 と同時に、山や川で遊んでいた“あの頃のぼく”に出会うことができます。仏壇の前でお経を読んでいたおじいちゃんの膝の上に座って、訳のわからないままお経を読む真似をしたり、仏壇に祈るおやじの背中にただ夢中で手を合わせていた幼き日々の自分にかえってしまいます。おじいちゃんもおやじも今は千の風になってしまいましたが、今でもあたたかく見つめてくれている母の優しいまなざしだけはあの頃のままです。
 高校を卒業して大学に入るために上京してから既に39年という年月が経ってしまいました。両親と暮らした倍以上の年月を故郷を離れて暮らしているということですが、どこで暮らしていても、心の故郷はいつも母でした。最近特にそんな思いを強くするのは、私が年をとったからでしょうか……。私の今の心境を一編の詩に託すと次のようになります。


「どこで暮らしていても」

「聞こえないから、もう切るよ」
受話器からおふくろの声
淋しいけれど それだけで満足さ
故郷の山なみ 川のせせらぎ
水遊びをした 遠い夏の想い出
あなたと過ごした 幼い日々が蘇る
どこで暮らしていても
心の故郷はいつも母

「たまには顔を、見せなさい」
聞こえないオヤジの声は
母のまなざし あの頃と変わらない
故郷を出てから 幾年月が
都会の生活 馴染むほどに悲しい
あなたと過ごした 幼い日々が懐かしい
どこで生きてはいても
心の故郷はいつも母

声を聞かせてくれ 兄の催促
仕事に追われて たび重なるご無沙汰
あなたと過ごした 幼い日々に帰りたい
どこで暮らしていても
心の故郷はいつも母

あなたと過ごした 幼い日々に帰りたい
どこで暮らしていても
心の故郷はいつも母

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category: 俺が言う!

2009/06/19 Fri. 10:59 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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コメント

この詩を詠んでると
今の自分と全く同じように感じ、こみ上げてきます。
恐らくこう思う人もたくさんいると思います。
メロディをつけて歌いたくなりますね。

しかし偶然よく似ています。
家族形態から、都会に出た年月のこと
心の故郷が母、、ほかにもいろいろ、、

だけど違うのは
川のせせらぎ(海育ちだから)

そのうち言われそうな

「聞こえないから、もう切るよ」

まるきち #- | URL | 2009/06/27 Sat. 22:43 * edit *

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