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ドキュメント「夢は眠っていないか?」Part.Ⅲ  共鳴していた歌を歌わなくなったとき、夢は眠っていないか?   

 四方を中央アルプス、南アルプスなどの連山に囲まれた風光明媚な信州の草深い田舎町。
 高野正寛(59)は、ここで生まれここで育った。その彼が上京したのは1969年3月のことだった。地元の名門校を卒業した彼は“浪人”として受験勉強をするために上京したのだった。彼は代田橋に下宿した。ここまではふつうの浪人生だった。
 しかし、彼がふつうの浪人生と異なっていたのは親からの仕送りがなかったことだ。彼はまず食うために仕事をしなければならなかった。手っ取り早く仕事にありつくために、彼は毎朝6時に高田馬場駅周辺に立った。
 そんな暮しが半年ほど続いた、とある日のこと――1日の疲れを癒そうと彼はいつものように下宿屋近くの銭湯に行った。手拭を頭に乗せていい気分でいると、有線放送から生ギターの弾き語りのしんみりとした歌が流れてきた。
 この歌が流れてきたとき、彼は「嫌な曲だ、聴きたくない」と拒否反応を起こしたと言う。この歌――岡林信康の「山谷ブルース」――に、彼は表面的には拒否反応を示した。だが、心の奥では共鳴を覚えていたのだった。
「初めに拒否反応を起こしたのは、オレの一番悲しいところ、つまり、ふれられたくないところを真正面からうたっていたからだ。でも、その歌は底辺に生きる人間の叫びをうたっていた。オレも底辺だったから、その歌がオレの言いたいことを代弁していたように思えた。それで拒否反応を起こしながらも勝手に心を打ったんじゃないだろうか……」
 ときあたかも“怒れる若者の季節”と呼ばれる時代であった。ベトナム反戦、学園紛争、安保反対闘争の嵐が全国を吹き荒れた時代である。そんな時代の中で、彼は何かをなさなければと常に思っていた。70年、彼は日大法学部に入学する。あいかわらず仕送りなしの苦学生だった。食うためにアルバイトをして、友だちとは、これから日本をどうするか、人生いかに生きるべきかを議論する日々が続く。議論がひとしきり続いた後に、彼は決まって「山谷ブルース」をうたった。ギターをかき鳴らし、声よつぶれよとばかりに大声で、うたうというよりは怒鳴った。
「自分の言いたいところを歌で補っていたんでしょうね。つらいとか悲しいとかを自分で言ってしまうと敗北者になっちゃうから、歌を借りて客観的に言っていた。それと世の中はエリートばかりじゃない。大半は非エリートだ。そういう人間の気持ちを多くの人にわかってほしかったということもありましたね」
 しかし、その彼もいつしか「山谷ブルース」をうたわなくなってしまった。
 現在、彼は地元に帰り、市議会議員として活躍している。彼の夢は眠っていないか?
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category: 俺が言う!

2009/09/29 Tue. 10:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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