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ドキュメント「夢は眠っていないか?」Part.Ⅹ はっぴいえんどを毎日のように聴いていた時代の彼の夢は眠っていないか?
一浪の後、中央大学経済学部に入学した彼は、すぐさま<ロック音楽研究会>に入る。楽器を弾かない彼はアドバイザーとしてコンサートの企画、パンフレット、ポスター、チラシなどの作成を担当し、研究会の理論的支柱として活躍する。
ちょうどそんな頃に、彼は鈴木茂のファースト・アルバム『バンド・ワゴン』を聴く。それまでの彼は、日本のフォークやロックには見向きもしなかった。日本のものを聴くくらいなら洋楽を聴いていた方がいい、と思っていたからだ。だが、鈴木茂の『バンド・ワゴン』は違っていたと言う。
「日本のなんて……とバカにしてたんだけど、都会的なポップスで、なによりもサウンドが良かった。日本にもこんなのがあったのか、と思いましたね」
鈴木茂に興味を持った彼は、鈴木茂の音楽的ルーツを探りたいという欲求にかられ、彼が過去に在籍していたバンド――“ティン・パン・アレー”“キャラメル・ママ”と遡り、遂に“はっぴいえんど”にたどり着く。
「あんな早い時期に、こんなすごい音楽をやっていたのかとびっくりしましたね。それからは、はっぴいえんどを毎日のように聴いていました」
当時、はっぴいえんどを知っている若者は音楽ファンの中でも“通”として尊敬されていた。その意味で、彼は玄人はだしだったというわけだ。
はっぴいえんどは1969年から73年にかけて活動していたバンドだが、当時“人気バンド”だったわけではない。しかし、ロック史の中では燦然と光り輝いている“伝説のロック・バンド”だ。なぜなら、彼らは“日本語のロック”を提唱し、日本語によるロックを初めて実践したバンドだからである。それと、解散後の4人のメンバーの活躍も忘れてはならない。細野は“YMO”、大滝はソロ・アーティスト、松本は作詞家、鈴木はギタリストとして一時代を築いた。4人の活躍が華々しかったからこそ、はっぴいえんどは伝説化され、より神話化されたのだった。
中大を1年で早退して早稲田大学政経学部に再入学した彼は、より自由に音楽を謳歌する。そして、卒業と同時に、ある音楽評論家の元に弟子入りする。だが、半年間で辞めてしまう。彼は言うのだ。
「実際に音楽評論をやってみて、ぼくが本当にやりたいのは音楽評論じゃなく、何かプランを立てて何かを作り出していくことだとわかったんです」
あれから28年の年月が流れ、彼は今、広告業界で第一線のプランナーとして活躍している。はっぴいえんどを聴いていた頃の彼の夢は眠っていないか?
category: 俺が言う!
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コメント
一誠さん、この人って、Mさんでしょう?
この人、もう終わっていますよ。
ただ、単に、みんなの意見をまとめるだけの企画屋ですよ。
今じゃ、もうプランナーって呼ばれていないですよ。
それでも、一誠さんほどの人がこう書くって、そのMさん、そういう資質?というより夢を持って
いたのですかね。
一誠さんの想い、聞かせてあげたいですね。
まさに「Mへの黙示録」ですよね!
市川篤姫 #- | URL | 2010/08/05 Thu. 02:22 * edit *
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