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服部克久、“音楽の巨人”へのターニング・ポイント! 

 服部克久さんは“音楽の巨人”と言っていいでしょう。なぜならば、作曲家であり編曲家であり、プロデューサーであるだけでなく、あるときはテレビのコメンテーター、パーソナリティー、はたまたあるときは審査員であり、なおかつ日本作曲家協会会長など要職にも就いているからです。いうならば、一アーティストを超越したマルチ人間です。だからこそ、畏敬の念をこめて“音楽の巨人”と言わせていただくのです。
 そんな“音楽の巨人”がデビュー50周年を迎えました。巨人とはいえ順風満帆だったというわけではありません。人生の岐路ともいうべきターニング・ポイントがいくつかありました。たとえば高校卒業後、フランスのパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に留学したこと。フランスから帰国して、日本で始めた仕事が作曲家ではなく編曲家だったこと。特に作曲家ではなく違う道を歩み始めたことは大きなターニング・ポイントでした。
 私は先生に尋ねました。
 「作曲家は古賀政男先生、服部良一先生とかそうそうたる方々がいらっしゃって、服部先生もそんな作曲家の道を進まれても不思議ではなかったのですが、なぜか違う道を歩み出されましたが、なぜ?」
 先生の答えは明解でした。
 「まあ自分の得意なものというのがあったからね。得意なものというのは単にメロディーを書くのではなくて、色々くっつけていって立体的な音楽を書くのが得意だったんで、サウンドですね。それがその時代のテレビの音楽番組とかドラマとか映画とかに合っていたんでしょうね。サントリーの大原麗子さんのレッドのCMに関しても、それを作ってからアルバム『音楽畑』シリーズが始まったんです。そこに入った曲が『音楽畑』にほとんど入っているので」
 「先生はアレンジャーからスタートされましたが、アレンジャーの立ち位置が変わってきたのではないでしょうか?」
 「そうですね。今は立場が逆転したのかな。昔は作曲家が一番偉くて、作詞家、アレンジャーの順でしたけど、今はメロディーは歌手が書いたものが売れちゃったりするので、結局そのメロディーを『先生お願いしますよ』って言われてサウンドにするわけじゃないですか。立場が変わっちゃいましたね。でもその時代も今は過ぎつつあって(笑)。難しいですよね。というかアレンジャーは無くなりつつありますね。あのギターの感じでとか、あのドラムの感じでいこうよとか。いいドラムがいなければ自分で打ち込みで勝手に直しちゃう。サウンド・デザインですね。アレンジっていう言葉をやめて、サウンド・クリエイターっていう名前に変えようかって。でもイメージがわかないか」
 先生は結果的に作曲家からではなく編曲家としてスタートを切ったからこそ独自の音楽の世界を作りあげることができたのです。もしも先生の存在がなければ、久石譲さん、千住明さん、岩代太郎さんなどが活躍できるステージはなかったかもしれません。そこが服部克久というアーティストの偉大なところなのです。
 人生のターニング・ポイントは誰にでもあります。そのターニングにおいて、なすべきことをやり遂げて次のステージに進み、そしてまた次のターニング・ポイントを迎えるのです。人生はこの繰り返しと言っていいでしょう。その意味では、人生のターニング・ポイントをひとつずつクリアーし続けられた者だけが“人生の勝利者”となるのです。
 服部克久さんは、ターニング・ポイントをクリアーし続けてきたからこそ、“音楽の巨人”という前人未踏の“頂”に立つことができたのです。
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category: 俺が言う!

2009/12/02 Wed. 14:47 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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コメント

こんにちは☆

いいブログですね!!

ついついコメントしちゃいました♪

また遊びにきますね(*`・_っ・´)ノ

よかったら私のブログにも遊びに来てください★

rol #- | URL | 2009/12/08 Tue. 17:34 * edit *

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