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追悼!孤高の天才アーティスト・加藤和彦さん 

 10月に死去したミュージシャン加藤和彦さん(享年62歳)を偲ぶ会が、去る10月、都内のホテルで行われました。いっぷう変わった会でした。祭壇はなく献花などもなく、会場には生前の華々しい活動を映すパネル写真が飾られ、懐かしい映像が繰り返し流されていました。また、美味しい料理とワインが所狭しと置かれ、さながら“パーティー”のようなきらびやかさでした。
「KKミーティング」と題された偲ぶ会の発起人・北山修さんは「遺書には偲ぶ会はやるなと書かれていたが、加藤は約束を破ったのであえてやります」とユーモアと皮肉をこめて挨拶をしました。北山さんによると、加藤さんからの遺書は亡くなられた翌日に着いたといいます。「北山君、約束を破ってごめんね」という書き出しでした。約束はふたつあって、ひとつは来春にザ・フォーク・クルセダーズをもう一度再結成してコンサートをやるということ。もうひとつは「死なない」と約束していたこと。ふたつのことを約束しておきながら加藤さんは破ってしまいました。だからこそ「あいつはバカやローなんだ」と北山さんは言うのです。
 訃報に接したとき私は信じられませんでした。なぜならば、加藤さんはミュージック・シーンの最先端で活動、常にアーティスト仲間に刺激を与え続けてきました。その意味で、彼の存在がなければJポップの今日の隆盛はなかったと言っていいでしょう。彼が世に出るきっかけとなったのは、ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の「帰ってきたヨッパライ」(1967年)でした。当時学生だった加藤和彦さん、北山修さんらは、アマチュアらしく何事にもとらわれずに自由な発想でレコードを作りました。テープを早回ししたり、木魚を使ってお経を入れたり、擬音を使ったり、その遊びのアイデアはプロが考えつかない斬新さでした。この斬新さが受けてミリオンセラーとなり一世を風靡したのです。フォークル解散後、ソロ・アーティストになった加藤さんは作詞の北山修さんと手を組んで、作曲家として独自の世界を確立しました。さらに72年にはサディスティック・ミカ・バンドを結成し、イギリスに進出。つまり、彼は海外進出組のパイオニアでもあったのです。それ以降も、スーパー歌舞伎の音楽を担当したり、坂崎幸之助さんと“和幸”を結成したりしてミュージック・シーンの最先端で活動を続けました。自分の音楽に対する絶対的な自信、二度と同じことはしないで最先端の音楽をやり続けるというプライドを持った彼は、それゆえに孤高のアーティストでした。何十回と取材をさせていただき、彼ほどプライドの高いアーティストを私は知りません。それだけに自殺など想像もできないのです。
 アマチュア時代からの盟友、杉田二郎さんも、大分県の高校生だったときにフォークルに刺激を受け「よし俺もやろう」ということで、後にかぐや姫を結成することになる南こうせつさんも「信じられない。悔しい」と言うばかりです。参列した吉田拓郎さんも松任谷由実さんも、伊勢正三さん、尾崎亜美さん、木村カエラさん、坂崎幸之助さん、高橋ユキヒロさん、奥田民生さんなども同じ想いに違いありません。
 ラストは加藤さんの代表曲「あの素晴しい愛をもう一度」を参列者500人で大合唱。加藤和彦さんは亡くなっても、彼が残した名曲の数々は永久に不滅です。合掌。
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category: 俺が言う!

2009/12/24 Thu. 10:19 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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