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祖父・祖母、父母の“教え”が私たちの人生を豊かにしてくれる糧となるのです! 

 時代は今、家族愛の歌を必要としている、というのが私の持論ですが、植村花菜の「トイレの神様」はまさしく時代が必要としている家族愛の歌です。
 内容は小学校3年生のときからおばあちゃんと暮らすことになった女の子の成長物語です。女の子はおばあちゃん子で仲良く暮らしていましたが、思春期になると、おばあちゃんとぶつかるようになり、また家族ともうまくやれないで、いつの間にか家族の中で自分の“居場所”を失くしてしまいます。その結果、遊ぶようになって家に寄りつかなくなって、とうとう家を出てしまいます。
 家を出て上京して2年が経った頃、おばあちゃんが入院してしまいます。久しぶりに帰った次の日、おばあちゃんは亡くなってしまいます。孫にひと目会ってから逝ってしまったおばあちゃんのことを思ったとき、孫に昔の記憶が蘇ってきます。それはおばあちゃんがいつも言っていたことです。「トイレには女神様がいる。だから毎日トイレをきれいに磨いていたら、お前も女神様みたいにべっぴんになれる」。おばあちゃんが亡くなって、自分自身を見つめたとき、そんなおばあちゃんの“教え”が“遺言”ではないのか、と思えたとしても何の不思議はありません。そう思ったとき、成長してひとりの大人の女性になった孫は、気だてのいいお嫁さんになることが夢だったということを思い出して、再びトイレをぴかぴかに磨くようになります。
 この歌を聴いていてしみじみ思うことは、おばあちゃんの遺言ともいえる“教え”の大切さです。家族愛の歌のポイントは、この大切な教えがあって、それがきっかけで聴き手である私たちに家族の絆のあるべき姿を考えさせてくれるのです。すぎもとまさとの「吾亦紅」は母への鎮魂歌ですが、ここにも母の教えがあります。それは「親のことなど気遣う暇に 後で恥じない自分を生きろ」という“形見の言葉”です。自分に恥じない生き方をしろという母の言葉には重いものがあります。
 中村ブンの「かあさんの下駄」の教えは「いくら貧乏してても人様のものには手をかけるな」ということです。樋口了一の「手紙~親愛なる子供たちへ~」は「あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい」という遺言が教えになっています。
 正直に言って、この“教え”がそれぞれの人生にとって最も大切なのではないでしょうか? この教えを通して何を考えるかは人それぞれですが、まずは教えをきっかけとして考えてみることが“家族の絆”への第一歩なのです。だからこそ、家族が崩壊している今の時代には“家族愛の歌”が必要とされている、と私は言いたいのです。
 「吾亦紅」「かあさんの下駄」「手紙~親愛なる子供たちへ~」「トイレの神様」などを聴いて、ちょっとでいいですから、父母、祖父・祖母、兄弟のことを考えてみて下さい。それまで忘れていた“教え”が蘇ってくるはずです。家族にはそんな教えがDNAとして組み込まれているのです。そんな“教え”が私たちの人生を豊かにしてくれる糧となるのです。
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category: 俺が言う!

2010/03/02 Tue. 11:29 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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