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音楽文化が死んだ、という意味で、東京厚生年金会館ホールの閉館は喪失感が大きいのです! 

 新宿の東京厚生年金会館が49年の歴史に幕を閉じ、3月31日を持って閉館しました。
 東京厚生年金会館ホールは70年代のフォークやニューミュージック、80年代のロックやポップスにとってまさに“聖地”でした。なぜ聖地だったかというと、当時のアーティストたちにとって、東京厚生年金会館大ホールでコンサートをやるということは大きな目標であり、夢の実現でもあったからです。
 今、アーティストたちにとって武道館コンサートは夢であり、そこを満員にして成功させるということは一流アーティストへの証明でありステイタスです。それと同じように、当時のアーティストたちにとって、厚生年金会館大ホールを満員にするということは一流アーティストへのステイタスだったのです。この時代、武道館は外人アーティストの聖地であり夢のまた夢の存在だったのです。だからこそ、厚生年金会館という大ホール(当時2406席)はさん然と輝いていた頂であったのです。
 それは私たち聴き手にとっても同じことでした。70年代に青春を送った50代、80年代に青春を送った40代にとって、厚生年金会館ホールは、自分の好きなアーティストと共に大切な“想い出”が真空パックされている重要な宝物殿なのです。だから、この場所に来ると、そのときに真空パックされた大切な“想い出”が解凍されて蘇ってくるのです。しかし、厚生年金会館大ホールが消滅してしまうということは、解凍できる場所がなくなってしまうということで、想い出はフリーズされたままで蘇ってはこないということです。フリーズされてしまう想い出、これは悲しいことです。その意味では一コンサート・ホールが閉館となっただけではないのです。音楽文化が死んだ、という意味で、東京厚生年金会館ホールの閉館は喪失感が大きいのです。
 消えゆく厚生年金会館を偲んでゆかりのあるアーティストが最後のステージを繰り広げましたが、ラストの2日間は圧巻でした。3月28日(日)は、歴代最多回数(174回)を誇るさだまさしが、ピアニストと2人だけの<アコースティック・コンサート>を行いました。<想い出と感動をありがとう!>の熱い想いをこめて3時間余り歌とトークで湧かせました。そしてラスト曲がさだらしい選曲で新曲の「片恋」(仮題)でした。「『案山子』は金沢、『関白宣言』は宮崎で初めて歌ったことを今でも覚えています。この曲を今日ここで歌ったことは決して忘れません」。
 29日(月)はコンサートは正真正銘のラストで歴代3位の松山千春(75回。ちなみに第2位は高橋真梨子で117回)が務めた<東京厚生年金会館ファイナル ファイナリスト 松山千春>でした。千春は「旅立ち」でデビューした年に道外初のコンサートとして、77年11月16日に東京厚生年金会館小ホールで<松山千春ファースト・コンサート「君のために作った歌」>を行いました。このときの1曲目が「君のために作った歌」、2曲目が「おいで僕のそばに」でしたがファイナルの1曲目、2曲目もこの曲で、千春の厚生年金会館に寄せる熱い想いが伝わってきました。1部は弾き語り、2部はバンド、そしてアンコールが圧巻でした。「旅立ち」「銀の雨」「人生の空から」。ダブルアンコールが「長い夜」。オーラスが「49年間に敬意をこめて」ということで全員で「大空と大地の中で」を大合唱。会場全体にこの歌声が響きわたったとき、千春の胸に、そして私たち観客の胸に去来したものは何だったのでしょうか……。
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category: 俺が言う!

2010/04/06 Tue. 17:29 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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