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井上陽水は“楷書”の似合うアーティストです! 

 井上陽水の「少年時代」を聴いていて、ふと思ったことがあります。陽水は“楷書”の似合うアーティストだ、ということです。
 楷書とは漢字の書体のひとつで、崩さない書き方で標準的なものとされています。それに対して“草書”は、書体をくずし、最も簡単で早く書けるようにしたもので、通称“くずし字”と言われています。ふだん私たちが使っているのは草書の方で、どんどん“くずし字”化されています。いや、書体ばかりか、私たちが日常使っている言葉が草書化され、言葉が乱れてきています。
 言葉の乱れといえば、Jポップにも言えます。最近の歌たちは、若者たちの使う言葉の乱れを反映してか、意味不明なものが多いようです。もともと言葉には、意味と読み方の“音”があります。音にはリズムがあるので、アーティストが歌詞を書く場合、言葉が本来持っている意味よりも、リズムに乗せやすい“音”を重視しがちです。その結果、リズム乗り先行の意味不明の歌詞が多くなるというわけです。はたして、これでいいのでしょうか?
 新曲を聴くとき、人はまずその声質に反応し、次にメロディーやリズムのインパクトに反応します。そして、最後に歌詞の内容に共感を覚えます。つまり、始めのインパクトはボーカル、メロディー、リズムですが、繰り返し聴きたいと思わせるのは、詞のリアリティーです。言葉の持つ“意味”と“音”を大切にするということは、正しく美しい日本語を使うということです。陽水の書く詞は、そんな美しい日本語です。
「少年時代」を聴いていると、なぜか郷愁を感じ、日本人であることを改めて認識させられます。歌の中に散りばめられた“風あざみ”“夏模様”“宵かがり”“夢花火”“夢のあと”などの言葉に刺激されて、私たちの心の奥に眠っていた“和の心”が目覚めます。つまり、私たちが忘れていた楷書とは“和の心”です。その“和の心”が「少年時代」に息づいているからこそ、私たちは日本人としての“良心”を刺激されるのです。
 陽水の父・若水さんは和歌をたしなむ風流人でした。当然のことながら、息子の陽水にもそんなDNAは引き継がれています。陽水の歌のベースに流れている郷愁を誘う独特な叙情性と哀愁こそ、まさに“日本の歌”そのものなのです。
 「少年時代」は約20年前に発売されヒットした曲ですが、20年という年月を経て、ますます輝きを増しているようです。歌は世につれ、といいますが、時代がバブルからバブル崩壊へとたどっても、この歌は色あせません。つまり、時代を超えた名曲ともいうべきスタンダード・ナンバーとなっていますが、それはこの歌が普遍性を持っているからです。時代に左右されない美しい日本語、日本人の心に流れる永遠の叙情性、それらを陽水が見事なまでに表現したからこそ、「少年時代」は時代を超え、世代を超えたスタンダード・ナンバーとして存在し続けているのです。
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category: 俺が言う!

2010/04/28 Wed. 12:30 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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コメント

仰る通りですね。

最近の歌と「少年時代」の違いは歴然としていますね。私は最近の歌も聴きますが、ときには拓郎や陽水が聴いてみたくなります。また、秋元順子が聴きたくなります。Every Little Thingも好いのですが、詞の意味は不鮮明な場合が間々あります。陽水の素晴らしさを貴兄の書で高校時代に知って以来、中学生の時から聴いていた彼の歌が違って聴こえるようになりました。因みに私は四十代前半で、フォーク世代ではありません。

緑川虫太郎 #MgNcixPo | URL | 2010/05/04 Tue. 22:25 * edit *

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