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葛藤の末に自分を確立したからこそできた岡林信康、35年の“熟成歌”「レクイエム~麦畑のひばり~」! 

 長い眠りから醒めた“熟成歌”ともいうべき歌が岡林信康の「レクイエム~麦畑のひばり~」です。
 35年ほど前、岡林は美空ひばりから「歌にして欲しい」と一編の詩を託されましたが、曲をつけることができず断念してしまいました。なぜ曲をつけることができなかったのか? 当時の岡林は“フォークの神様”というイメージに悩み、そこから脱却して人間らしさを取り戻そうともがいていました。
 かつて“怒れる若者の季節”と呼ばれる時代がありました。60年代後半から70年代にかけて、ベトナム反戦、学園紛争、安保反対と嵐が吹き荒れた時代です。“フォークの神様”岡林信康。そして彼の歌う「友よ」が生まれたのは、この“季節”の中からです。若き闘士たちは、きのうまで歌っていた革命歌「インターナショナル」を捨て、デモや集会で「友よ」を大合唱しました。闘いに疲れ切った若者は、夕闇の中で憑かれたようにこの歌を口ずさみました。<夜明けは近い>と。
 しかし、“反体制の象徴”とされた岡林は、『俺らいちぬけた』というアルバムを出した直後、全てのコンサート活動を止め、岐阜の山奥に引きこもって沈黙してしまいました。まさに、歌そのまま。“いちぬけた”。71年8月のことでした。「裏切り」「変節」という罵声が彼の背に浴びせられました。
 「オレも歌い出したころは、歌というものをなめてたよね。歌は戦いの武器やとか道具やとか。イデオロギー信奉して、周りの人達、みんな味方思うて盛り上った。ところが、やってるうちに、なんか違う。そう思い出すと、周りがえらい支持してくれるのが、かえってすごくヘビーやった」
 岡林は“イデオロギー”との訣別を決意しました。岡林の悩みとは裏腹に、そのころ彼は“フォークの神様”として完全に偶像化され、つぎつぎと新たな神話が生み出されていきました。
 「神様といわれたから出なかったんや、オレは。くそォ」
 信仰、イデオロギー、そして偶像化。彼はそのどれもと真正面から向い合い、死力を尽して戦いました。しかし、結果は無惨なKO負け。敗れたボクサーは、リングを去るしかなかったのです。山奥での自給自足の生活を始めた岡林は、ほとんど人に会いませんでした。ただ、瞑想にふける日々を送っていたのです。
 一方、“歌謡界の女王”として君臨していたひばりも心の中では葛藤していたのです。女王として振るまわなければいけない半面、加藤和枝(ひばりの本名)としては人並みの幸福がほしい。美空ひばりという“虚像”と加藤和枝という“実像”は、女王として輝けば輝くほど距離を生み、心の葛藤は強まるのです。そんな心の葛藤を表現したのが彼女の詩でした。岡林も当時“フォークの神様”というレッテルをはがそうともがいていました。つまり、同じ泥沼にはまっていたからこそ曲が作れなかったのです。森の中にいては森は見えず、ということです。あれから35年が過ぎ、葛藤の末に自分というものを確立しました。だからこそ、あのときの“ひばりの心”が理解でき曲をつけることができたのです。アルバム『レクイエム~我が心の美空ひばり~』の中の一曲が、ひばりファンの熱望でシングル・カットされたことで美空ひばりの魂が今蘇ったのです。
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category: 俺が言う!

2010/06/10 Thu. 15:47 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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