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50代になって私はようやく荒木一郎の歌が理解できるようになりました。 

 荒木一郎の8年ぶりのコンサート〈荒木一郎3DAYS〉が去る6月14、15、16日の3日間にわたって、東京下北沢の北沢タウンホールで行なわれました。このコンサートを見て、荒木一郎はこんなにすごいアーティストだったのだ、と私は再評価をしました。
 荒木といえば、1960年代後半に「空に星があるように」「今夜は踊ろう」「いとしのマックス」などの連続大ヒットを飛ばし、シンガー・ソングライターの草分けとして加山雄三と人気を二分しました。
 1966年、日本の音楽界は底辺から大きく変わろうとしていました。きっかけとなったのは加山雄三でした。東宝の映画「若大将シリーズ」の主役として活躍していた加山は、65年6月に歌手として「恋は紅いバラ」をリリースしました。この曲のヒットを契機に加山雄三ブームが起こり、「若大将シリーズ」は東宝のドル箱となります。それ以降も、加山は「君といつまでも」「夕陽は赤く」「お嫁においで」「旅人よ」など連続して大ヒットを放ちます。加山は普段着のままテレビ出演し、エレキ・ギターを自ら弾いて歌いました。バック・バンドはザ・ランチャーズ。その姿に若者たちは憧れました。
 なによりも加山が、弾厚作というペンネームで、自分の曲を作曲していたことがカッコ良く映ったのです。このブームのおかげで、若者たちは「自分も作曲できる」ことを学んだのでした。そして各社が「加山に対抗できる自作自演の歌手を探せ」をスローガンに掲げました。そんな中から、荒木一郎が、66年8月に「空に星があるように」でデビューし、「今夜は踊ろう」の大ヒットで加山と並ぶ位置につけました。当時荒木の担当ディレクターをしていた斎藤豊さんは語ります。
 「加山雄三の成功は各社に大きなショックを与えました。私は当時ビクター・レコードのディレクターをしていたんですが、加山に対抗できる奴を探せということが社命でした。社命といっても、自作自演のできる奴はそういないのでだいぶ苦労しました。そんな中から荒木一郎が出てきたんです。彼は役者だったわけですけれど、歌を作ってうたえるということで、ビクターとしては加山にぶつけるようにして発売したんです」
 加山は“若大将”として太陽のように燦然と輝き、片や荒木はちょっとニヒルな“アウトロー”としていぶし銀のような渋さを放っていました。いぶし銀だったからこそ、当時10代だった私は彼の大ヒット曲しか理解できなかったのかもしれません。
 しかし、8年ぶりのライブを見て、ヒット曲以外に“いい歌”を何曲も発見してしまったのです。66歳になった荒木は肩の力を抜いてありのままの自分を吐露しながら歌っていく。すると若い頃にはぴんとこなかった歌がこちらのハートにしみ入ってきて共鳴してしまうのです。つまり、荒木は心のひだにしみついている淋しさを若くして歌っていたのです。あれから40年という年月を経て、50代になって私はようやく荒木の歌が理解できるようになったのです。20代の頃には響かなかった「君に捧げるほろ苦いブルース」などに今、“心の琴線”を揺さぶられるのはなぜでしょうか…。
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category: 俺が言う!

2010/07/07 Wed. 14:52 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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