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どうせカバーするなら、Jポップのヒット曲より、自分の好きな洋楽を選曲して、自分の原点であるボサノバで歌いたい! 

 「アラフォー世代の女性をターゲットにした、ブラジリアン・テーストの夏のアイテム・アルバムを作って下さい」というオファーを南佳孝は受けました。大滝詠一、山下達郎などのヒット作品を選曲して、ボサノバ・タッチのアレンジをほどこしたらさぞや売れるアルバムができたに違いありません。しかし、南は首をタテには振りませんでした。売れるためだけに作るということは、アーティストとしてのプライドが許さなかったからです。その結果、彼が選んだのはブラジリアン・テーストの洋楽スタンダード・カバー・アルバムでした。
 彼は子供の頃からポップスが好きでした。ジョニー・レイの「雨に歩けば」を聴いたのが最も古い記憶だと言います。始めから洋楽志向だったことは特筆されます。以来、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、ペギー・リーなどをラジオで聴き、スタンダードやポップスの虜となりました。中学時代にビートルズを体験し、強烈なショックを受けました。明治学院高校に入学と同時にロック・バンドを結成、ギタリストでした。ギタリストとして伝説のギタリスト、チェット・アトキンスをコピーする傍らでボサノバにも傾倒したのです。
 彼は17歳のときに、ブラジル音楽の大御所・カルロス・ジョビンやバーデン・パウエルなどを聴いて、その魅力の虜になり、それ以降、ボサノバを追求しています。
 明治学院大学に入ると、ジャズの世界へと足を踏み入れ、やがて大学紛争に嫌気がさして中退、ジャズ・ギタリストとして活動を始めました。その後、1972年頃からブームとなったシンガー・ソングライターの影響を受けてオリジナル曲を作り始めました。73年に「摩天楼のヒロイン」でアルバム・デビュー。以降、ポップス一筋で、80年に「モンロー・ウォーク」がスマッシュ・ヒットし、81年には「スローなブギにしてくれ」が大ヒットしてブレイク。彼は“シティポップスの雄”として一躍時代の寵児となったのです。
 という訳で一般的なイメージとしては、南佳孝というとオシャレなポップスという印象が強いが、実は彼の音楽の“原点”はボサノバにあるのです。若いときは、“シティポップスの雄”というアーティスト・イメージが強かったので、なかなかボサノバを前面に押し出すことはできませんでしたが、還暦を過ぎた今は違います。好きなことをやれる環境が整ったのです。
 「どうせカバーするならJポップのヒット曲より、自分の好きな洋楽曲を選曲して、自分の原点であるボサノバで歌いたい」。そう考えた彼は、「マシュケ・ナダ」(セルジオ・メンデス)などブラジルのスタンダードの他、「素顔のままで」(ビリー・ジョエル)などAORの定番曲など12曲を、全曲リオデジャネイロのスタジオで現地の気鋭のミュージシャンと録音して、アルバム『あの夏…(In Summer)』ができました。
 「肩の力を“抜いて”歌うことができました」
 このアルバムを聴くと全身の力が抜けて心が開放される不思議な魅力があるようです。南のこだわりが単なるカバー・アルバムを超えたのです。
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category: 俺が言う!

2010/10/04 Mon. 17:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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