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名曲を生み出すパワーは神がかり的です。「なごり雪」しかり。「わかって下さい」「岬めぐり」しかりです! 

 長い時を超えて、歌い継がれ、決して色あせない曲。それを人は“名曲”と呼びます。“名曲”には、その曲ならではのエピソードがあります。そんな名曲の誕生秘話を調べていると、ひとつの“教訓”が見えてきます。
 “かぐや姫”から“風”の初期、伊勢正三は常に“叙情派フォーク”の旗手でした。しかも「なごり雪」は彼が初めて作曲した曲であり、「22才の別れ」は2番目に作った曲というから驚きです。伊勢によれば、「なごり雪」は「天から与えられたもの」であり、「22才の別れ」は、いったん録音した曲が不満で「売れ線を狙って」、一晩で書き上げた曲だという。そうした違いはあるものの、この2曲のミリオンセラーで伊勢の名前は永遠に不滅になったことは間違いがありません。
 永遠に不滅といえば因幡晃も同様です。「わかって下さい」によって彼の名前もまたさん然と輝いています。誕生秘話を彼はこう語ります。
 「あれは本当に神がかり的というか、『わかって下さい』という言葉がふっと降りて来て、自分の口をついて出て歌になったんです。決して作ろうと思って作ったものではないんです。あのときは鉱山で仕事をしていて、プロになるつもりはなくて、とにかく無欲の中から自然と生まれてきたんです。まさにラッキーでした」
 「走れコウタロー」をミリオンセラーにしたソルティー・シュガーですが、たったの一年間で解散してしまいました。メンバーだった山本コウタローは、解散後DJの仕事をやりながら、ソロ・シンガーになってレコードを出したり、武蔵野タンポポ団、少年探偵団などのグループを作ったりしながら、解散後3年間を過ごしました。そして満を持して、森一美、板垣秀雄と“山本コウタローとウィークエンド”というフォーク・グループを作りました。彼らの担当だった前田仁ディレクターは証言します。
 「詞は山上路夫さんにお願いしました。で、曲はというと、売れていたので南こうせつに頼んだんだけど、結果的に、コウタローが曲をつけてB面候補だった『岬めぐり』の方がA面になってしまったんです」
 こうして1974年6月1日に「岬めぐり」は発売されました。B面候補がA面になって大ヒット。まさに劇的な大ヒット曲となったのです。さらに衝撃的な裏話があります。コウタローは証言します。
 「『岬めぐり』はバズをはじめとして何人かが曲をつけたんだけど、上手く曲がつかなくて山上さんの所にストックされていたんです。それがB面候補だということで、ぼくの所にまわってきた。いわば余りものの詞だったんです」
 「“岬めぐりの バスは走る”というサビのメロディー、あれは最初から僕の頭の中にあったんです。いつかこれを使ってやろうと思っていたんですが、山上さんから『岬めぐり』という詞をもらって読んでいたら、そのメロディーがサビの詞にぴたっとはまってしまったんです。本当に奇跡的でした」
 こんなことってあるのでしょうか……。ここで整理をしたいと思います。
 「なごり雪」は「天から与えられたもの」と言う伊勢正三。「わかって下さい」は「神がかり的に言葉がふっと降りて来た」と言う因幡晃。「岬めぐり」は「頭の中にもともとあったメロディーが詞にはまった」と言う山本コウタロー。いずれにしても名曲を生み出すパワーは“神がかり的”ということです。そんな精神状態をどうしたら作り出せるのか、そこがポイントだ、ということでしょう。
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category: 俺が言う!

2010/12/16 Thu. 10:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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