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40年かけてはじめて到達した“オンリーワン・アーティスト”杉田二郎の生き方に学ぶこと! 

 杉田二郎は、早いもので、今年デビュー40周年めを迎えます。この間いろいろなことがありましたが、大きな転機がこれまでに三度ありました。
一度目は「『戦争を知らない子供たち』に別れを告げて『男どうし』での再出発でした」と杉田は言います。
「男どうし」(75年9月20日発売)ができる前、彼は1974年春から75年春まで休養しました。宗教家であった父親の生き方を理解する為に、一年間の修行を積みたいと思ったのです。修行を終えて、彼はすぐさまロンドンに向かいました。北山修が当時ロンドンに住んでいたので、ロンドンに行って二人で新しい歌を作ろうということになったのです。そんな中から「男どうし」は生まれました。結果的に「男どうし」は新境地を切り開き、彼は“復帰”して再スタートを切ることができたのです。
 二度目は78年に発表した三枚のシングル「八ヶ岳」「(青春は)まるで映画のように」「ANAK(息子)」でした。これは彼にとって、ひとつの“チャレンジ”でした。シンガー・ソングライターの彼が他人が作った曲を歌う、つまり“ボーカリスト”にチャレンジしたのです。やがてこのチャレンジが9年後(86年5月22日)の「再会」(作詞・なかにし礼、作曲・宇崎竜童)で結実し、杉田は自分がこれからめざそうとしている“大人の歌”の片鱗を確かにつかむことになります。
 三度目はデビュー30周年の98年のことでした。30周年なので杉田は新しいアルバムを作って、がんがんいきたいと思っていましたが、レコード会社が出してくれないから、しかたがない、そんな状況でした。ふつうなら、しかたがない、とあきらめてしまうところですが、杉田は違っていました。
「だったら自分で出す」と彼は立ち上がって、自主制作でアルバム『杉田二郎三十周年記念コンサート《絆》~きたやまおさむ作品を唄う~』(98年11月1日発売)を出したのです。レコード会社が出してくれるのはあたりまえの状況できた杉田にとって、自主制作で出すということは大きな“決断”だし勇気のいる選択でした。
 ローテーションに追われて歌を作っていたときとは違う、「ものを作りたいと飢えていた」アーティストとしての純粋さが、杉田をして大きな山を動かしたのです。
 自主制作アルバム『絆』『祈り』を二枚作ったことで、彼は再び自信を取り戻しました。そして、その自信が彼をさらに成長させることになるのです。
 四度目の“転機”はあえて言うならば“今”ということになります。30周年のときと違って、40周年の今年は三枚組記念アルバム『愛する人へ』が東芝EMIというメジャーレコード会社からリリースされました。「よく出せたな、と思います」と杉田は感慨深げです。選りすぐった54曲、どの曲も愛しいし、想い出がつまっていることでしょう。新曲も「前向きに倒れてみたい」「何度でも二十歳」「灯火」と3曲入っています。この記念アルバムを聴いていると、山あり谷ありだった杉田の人生がドラマティックに思い出されますが、杉田がしみじみと語ってくれた言葉が私には印象的でした。
「全国各地で待ってくれている“愛する人”たちがいるかぎり、ギター一本もって身軽な感じで、あの町この町で歌っていきたい、と思っています。」
 今年、杉田二郎はギター一本もって、全国各地をトーク&ライブをして歩きます。彼は40年かけてはじめて到達した“オンリーワン・アーティスト”です。
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category: 俺が言う!

2007/05/23 Wed. 11:15 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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