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第144回芥川賞受賞作・西村賢太「苦役列車」を読んで・・・“ひがみ根性”のエネルギーに脱帽! 

 今年の1月17日に〈第144回芥川賞〉が発表され、朝吹真理子の「きことわ」と西村賢太の「苦役列車」の2作品が受賞しました。さっそく買って読んでみましたが、私は西村作品に衝撃を受けてしまいました。なぜかというと、この作品の内容に、特に主人公の貫多にリアリティーを感じてしまったからです。
  貫多は、いわゆるフリーターです。中学を卒業してから定職につかずに、その日暮らしをしています。日当5500円の日雇い仕事で生活を立てながら流されるように生きています。なぜ彼がそうなってしまったのか?それは貫多の生い立ちにかなりの要因があるようです。性犯罪で刑務所入りした父親。それに伴う両親の離婚。母子家庭の中から生まれた心の傷。さらに中卒という学歴コンプレックスが複雑に融合されているところから生まれた貫多の人間性とキャラクター。これをわかり易く一言で言うと、この小説の宣伝歌い文句<平成の私小説家、ついに登場!友もなく、女もなく、ただ一杯のコップ酒を心の支えに生きる十九歳の孤独と窮乏、怨嗟と因業。>になります。
 さてこの作品になぜ私がリアリティーを感じたかというと、主人公の貫多の”ひがみ根性”です。貫多には友達と呼べる人がいません。そんな貫多に友達とまではいかないが、友達に近い者ができました。専門学校に通っている、日下部です。日下部と親しくなった貫多はある日、日下部と日下部の彼女である大学生の美奈子と3人で、プロ野球観戦をした後に居酒屋で飲むことになりますが、ここで完全に切れてしまいます。親から仕送りを受けて青春時代を謳歌している彼らと、社会の底辺で地べたを這いずり回るようにして生きている自分。同じ年頃なのに、天と地ほどの違い。それをはっきりと認識したときに貫多は切れてしまうのです。
 <「何なんだ、てめえ!せんにはぼくに映画は嫌いだとかぬかしやがったくせに、今はいっぱしその理解ヅラしやがって。女の前だからって高尚ぶるんじゃねえよ。(略)」>
 このときの貫多の心の裏側の心情を著者は鋭く描いています。
 <無論、貫多は最前の二人の会話等から、日下部と美奈子は自分とはまるで違う人種であることをハッキリ覚っていた。この二人はまともな両親のいる家庭環境で普通に成長し、普通に学校生活を送って知識と教養を身につけ、そして普通の青春を今まさに過ごし、これからも普通に生きて普通の出会いを繰り返してゆくのであろう。(略)そんな人たちにゴキブリのような自分が所期のかようなような頼み事をしたところで、どうで詮ない次第になるのは、とうに分かりきった話であった。>
 日下部と美奈子は”普通の世界”にいる人。それに対して貫多は”ゴキブリの世界”にいる人。しょせん、住む世界が違うということです。私もまちがいなく”普通の世界”で暮らしています。だからこそ、ふだんは”ゴキブリの世界”のことなど考えたこともありません。だから、貫多が突然ブチ切れたときに、日下部のように、ただ「なぜ?」とがく然としてしまったのです。考えてみれば、私たちは貫多のような人間にはかかわらないようにさけているのかもしれません。しかし、この作品を読んだことで、自分とは違う人間もいるのだ、そして一生懸命に生きているのだ、ということを身にしみて思い知りました。思い知ったということがリアリティーなのです。”ひがみ根性”を教えてくれた「苦役列車」は、その意味で、素晴らしい”私小説”です。願わくば、「苦役列車」のような”私小説”的な歌を望みたいものです。”普通の世界”の歌だけではなく、”ゴキブリの世界”の地をはうようなリアリティーのある歌をぜひ聴きたい。小説に後れをとってしまった歌に奮起を促したいと思います。
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category: 俺が言う!

2011/03/02 Wed. 15:29 [edit]   TB: -- | CM: --

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