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尾崎豊が残した7枚のアルバムは若者たちの“青春のバイブル”として永遠に行き続けるに違いありません!! 

 卒業シーズンにあたって、改めて尾崎豊の「卒業」を聴いてみました。すごい歌だ、と再認識しました。年齢の違いに関係なく、それぞれの青春を突きつめていけば“あと何度自分自身、卒業すれば本当の自分にたどりつけるだろう”というフレーズにぶちあたるはずです。ということは、「卒業」は青春の真理を見事に表現したということになります。こんなにパーフェクトな青春ソングを歌えるアーティストは今でも彼しかいません。だからこそ、尾崎は彼の世代の“代弁者”であり“英雄”だったのです。
 尾崎が17歳のとき、彼はCBS・ソニー・レコード(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)のSDオーディションに応募して来ました。そのオーディションの審査員だった私は、そのとき彼のデモテープを聴いて、その新鮮さに、乱暴なほどのストレートな歌に、感想を求められても言葉を忘れるほど感動してしまったほどです。そして、彼は彼と共に生きる同じ世代の若者にとってかけがえのない存在のアーティストになるに違いないと直感しました。
 オーディションからしばらく経って、彼は83年12月1日にシングル「15の夜」、アルバム「17歳の地図」でデビューを果たしました。その頃、若者が純粋に自分の本音を言うとなると、すぐにツッパリにロックンロールというスタイルでしたが、彼は違っていました。彼は17歳なりに感じる世の中に対する反発、不安・・・などを自分の言葉で正確に表現していきました。デビュー・アルバムを聴いたとき、私は彼に詩人の顔を見、アーティストとしての新しいタイプを見たのです。私はそんな尾崎を確認するために、84年3月15日、新宿のライブハウス“ルイード”で行われた彼のファースト・ライブに出かけました。業界関係者を含めた超満員の場内は立錐の余地がなかった程です。しかも、ルイードの前には入り切れない人が100人以上も並んでいました。
 それ以降、尾崎に対する期待感は高まる一方でした。そんな期待にこたえて、彼は全力で走って“英雄”となったのです。なぜ彼は“英雄”となり“カリスマ”になったのでしょうか?管理された現代社会の中では、俗に言う“いい子”というのは、その枠の中で生きる者に対する言葉なら、尾崎への評価は、世間から見れば“不良”ということになるでしょう。だが、不良とは本来インテリジェンスにあふれた人間ではないだろうか、と私は考えています。頭が良いからこそ、現在自分が置かれている社会に疑問点を見い出して、どうにかしなければならないのだと思うのです。鈍感な人間にはそんなことができるはずがありません。これでいいのか?という疑問を感じ、それを対象にぶつけ、さらに自分自身に問いかける。今の自分でいいのか?と。そして、現状ではダメだという思いがふくれあがったとき、既存のレールからはみ出すことになるのです。つまり、不良とはインテリであり、ただの落ちこぼれという消極的な人間ではないのです。尾崎は自分の求めるものを、また、生き方を真撃に追求したからこそ、社会という“枠”の中からはみ出さざるを得なかったのです。尾崎のメッセージは聴き手自身の心情でもあるのです。だから、そのメッセージを受け止めて、どうするのか?と自分自身に問いかけたとき、聴き手は尾崎豊そのものになってしまうのです。ここに尾崎豊の存在価値があるのです。尾崎はもういませんが、彼が残した7枚のアルバムは若者たちの“青春のバイブル”として永遠に生き続けるに違いない、と私は確信しています。
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category: 俺が言う!

2011/03/07 Mon. 13:17 [edit]   TB: -- | CM: --

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