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“心の闇”の中に眠っている“本音”を叫ぶMetisの「人間失格」は“すごい歌”です! 

 歌は歌であって、実は歌ではない、という時代がありました。どういうことかというと、スタイルはあくまで歌ですが、それを超えてしまう“何か”があったということです。換言すれば、歌は己れの自己表現の一手段だったということです。
かつて70年代フォークの時代は歌とはそういうものでした。歌にアーティストの生きざまそのものが反映され、聴き手である私たちは歌を聴いてアーティストの“生きざま”に共感を覚えたのです。ところが、年月は流れ、歌そのものが変わってしまったように思えてなりません。歌のスタイルはかつてのフォーク一辺倒の時代からロック、ポップス、ダンスミュージック、ヒップホップ、R&Bなど多様化しましたが、そんな中で歌は一口でいうなら“たかが歌”に成り下がってしまったのです。でもそれは、歌は音楽としての純粋性を取り戻したというパラドックスでもあるのです。しかし、と考えてしまう。いくら音楽性があったとしても、内容が希薄な歌が本当に歌なのか、と。今こそ歌は“原点”に立ち返るべきです。
 そんなふうに感じていた矢先にMetis(メティス)の「人間失格」を聴きました。すごい歌だと思いました。彼女の“心の叫び”が全編を貫いています。母子家庭に育った彼女は16歳のときに、母のがん手術の日、病院に立ち会うどころか、悪い友だちと遊びに出かけたまま2週間も遊びほうけていました。世に言う“不良”でした。だが、彼女は単なる落ちこぼれではなかったのです。現在自分が置かれている状況に疑問点を見い出して、どうにかしなければともがき悩んでいたのです。「これでいいのか?」という疑問を感じ、それを対象にぶつけ、さらに自分自身に問いかける。そして現状ではダメだという思いがふくれあがったとき、彼女は“悪”の世界から抜け出し、歌を歌い始めたのです。それ以降彼女は自分の求めるものを、生き方を真摯に追求した結果、26歳になって初めて自分の“心の闇”の中に眠っている“本音”にたどりつくことができたのです。それが「涙を忘れていませんか?大事な事から逃げていませんか?自分に嘘をついていませんか?諦める事に慣れ過ぎていませんか?」というサビのフレーズです。このメッセージは聴き手の心情でもあるのです。だから、このメッセージを受け止めてどうするのか?と自分自身に問いかけたとき、聴き手はMetisそのものになってしまうのです。その意味で、「人間失格」は、歌が現実を超えている、と言っていいでしょう。
 歌にしろ、映画にしろ、文学にしろ、私たちがそれを聴いたり、見たり、読んだりする場合は、その背景に、自分はその歌、映画、文学に後れをとっているという意識が常にあるのです。だからこそ、それらに触れることで、私たちは自分の後れを取り戻そうとするのです。ということは、換言すれば、歌や映画や文学が私たちの現実を超えているということです。現実を超えているからこそ、歌や映画や文学に内的リアリティーを私たちは感じるのです。歌が現実を超えるためには、歌を作るアーティストが、その日常生活における生きざまでも私たちの現実を超えていなければならない、ということでもあるのです。そのためには、アーティストは私たち以上にストイックな生活をし、洞察力を持たなければならないのです。
 ところが、今では“現実”の方が“歌”をはるかに超えてしまっている。これではリアリティーは感じられないし、共感を覚えることもできないのです。そんな現状にあって、Metisの「人間失格」は確実に現実を超えているのです。だからこそ、私たちはリアリティーを感じて共感を覚えるのです。尾崎豊が今もし生きていたならばきっと「人間失格」を作って歌っているに違いない、と私は確信しています。「もう人間やめますか?」
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category: 俺が言う!

2011/04/27 Wed. 10:54 [edit]   TB: -- | CM: --

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