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さだまさしの決意!壊された街が復興して、有料のコンサートができるようになるまで、歌うことはやめられない! 

 さだまさしは来年夏から再来年にかけて行われる予定の〈デビュー40周年コンサート・ツアー〉を花道にして、現役の第一線から退くつもりでいた、と言う。
 「本当です。この20年間ストレスがたまる一方だった。時間がなくて好きなことができなかった。来年、還暦なので、定年を迎えて好きなことをやろうと思ったんです」
 しかし、そんな青写真は3月11日に起きた東日本大震災で吹き飛んでしまったのです。その日、さだは都内のスタジオでニュー・アルバム『Sada City』の曲作りをしていました。
 「夕方のニュースを見て、歌っている場合じゃない。歌なんて何の役にもたたないと打ちのめされてしまった」
 それ以来、2週間は何もできませんでした。ようやく気持ちを立て直すことができたのは1ヵ月後のことでした。
 「心の中でメロディーが動き始めたんです。とにかく、自分にできることから始めようと思った。ぼう然として涙も出なかったけど、泣かないと笑えない。笑えないと怒れない。怒れないと動けない。動けないと働けない。そんな想いを歌おうと思ったんです」
 気持ちを立て直したさだは、壊れてしまったアルバムのコンセプトを再び構築し直してレコーディングを始めました。そのコンセプトとは一足早く“仮想の街”Sada Cityを復興させるということでした。復興のためにまず必要なのはシンボル。たくさんの人たちが集まって力を結集するためにはシンボルが必要です。Sada Cityにとってはそれは“桜”でした。こうして復興のフラッグ・ソング「桜の樹の下で」が生まれました。次に必要なのは名画座、プラネタリウム、写真館、図書館、美術館などの文化施設です。心の拠り所をいち早く復興させるところがさだの見識です。こうして、さだは現実より先に、アルバム『Sada City』で復興の道筋を示したのです。このアルバムを聴いていると、復興はできるのだ、という強い夢が生まれてきます。その意味で、このアルバムこそ“エールソング”なのです。
 Sada Cityをいち早く復興させたさだは今、一大決意をしました。
 「壊された街が復興して、有料のコンサートができるようになるまで、歌うことはやめられない」
 さだまさしに“引退”という文字はありえない、ということです。そして、さだはさらに意を強くしています。
 「どうやってやめるんだと考えていたけど、今となっては、平和なときにのんきなことを言っていたな、と思う。震災以降は、自分の都合だけでは生きられない。こうしよう、なんておこがましい、と思います」
 そんなさだまさしの決意を聴いていると、私もフォークの従軍記者として、この目で見、この耳で聴き、この心で感じたことをレポートし続けなければならない、と改めて肝に銘じました。さだまさしが倒れるまで、私もさだの従軍記者としてレポートし続けるつもりです。
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category: 俺が言う!

2011/08/29 Mon. 10:25 [edit]   TB: -- | CM: --

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