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弱者をいたわり元気づける包容力がある柳ジョージさんの〈大人のロック〉が今こそ必要とされていたのに、残念です。享年63歳。合掌! 

 「千の風になって」(秋川雅史)「愛のままで…」(秋元順子)「吾亦紅」(すぎもとまさと)など“大人の歌”が必要とされている時代だからこそ柳ジョージさんが注目されていました。先日、インタビューをしたときに、すぎもとさんは言っていました。
 「作曲家としては柳ジョージさんに曲を書いてぜひ一緒に大人の歌を作りたい」
 ブルース好きのすぎもとさんは、柳さんの音楽のルーツに同じブルースの血を敏感に感じ取っていたのかもしれません。
 1978年から80年にかけて〈柳ジョージ&レイニーウッド〉が「雨に泣いてる…」「微笑の法則」「さらばミシシッピー」などのヒット曲で脚光を浴びた頃、彼らは“異端”の存在でした。その頃、ロックは若者の音楽でしたが、柳さんのブルース調の独特のハスキー・ボイスと味わい深い泣きのギターからかもし出されるいぶし銀のような音楽は〈大人のロック〉だったからです。その意味において、柳さんは〈大人の歌〉のパイオニアと言っていいでしょう。
 ブルースはもともと弱者の心情を代弁していますが、柳さんの歌も彼の人生観に裏打ちされています。日大法学部在学中の69年にブルース・ロック・バンド〈パワーハウス〉でデビューした彼は翌70年にザ・ゴールデン・カップスの後期メンバー(ベーシスト)として加入。しかし、翌71年、マリファナ事件に巻き込まれ、カップスはテレビ、ラジオ、ジャズ喫茶から閉め出されてしまいました。残されたのはドサまわりだけでした。地方ではカップスの名はまだ栄光を失っていなかったからです。
 「『長い髪の少女』さえやればうけた。みじめでね。落ちていく一方で……」
 72年1月3日、ゴールデンカップス解散。「世の中、甘くない」と悟った彼は、ある商事会社に就職するが、たった3日間で辞めてしまう。
 「仕事のメニューを見せられたときに、目の前がマッ暗になった。定年までの自分の人生が見えちゃって……。それならまだ汗を流す方がいいと思って、肉体労働を始めたんです」
 だが、“安易な選択”でした。
 「仕事が終わると、一杯飲み屋に行ってくだをまくだけ。これじゃ!」
 音楽にはまったく未練はなかったが、何をしても満たされぬ日々。焦り、悩み、酒に逃げました。
 「気分転換のためには外国がいい」
 単純な理由から柳は、ロンドンへ“逃亡”しました。この逃避行が、彼の人生を決定づけることになったのです。渡英は友人のギタリスト、成毛滋と一緒でしたが、成毛が毎日コンサートに行っても、音楽を忘れるために逃げて来た彼は、見向きもしませんでした。しかしある日のこと――。
 「成毛に誘われるままにロイヤル・アルバート・ホールに行ったんです。そしたら、スティーブ・マリオットがコンサートをやっていて打ちのめされた。すごい感動を受けた。そのとき、思ったんです。こんなすばらしい、人を感動させる音楽を、なんで俺は捨てようとしたんだろう。そうだ、俺は今まで本当に自分の好きな音楽をやってなかったんじゃないか」
 すぐさま帰国して、レイニーウッドを結成。いわば“敗者復活戦”を這い上がって来た彼だけに、弱者をいたわり元気づける包容力があるのです。エリック・クラプトンにも通じる癒しのパワー。それが“和製クラプトン”と称される所以です。時代は今、良質な〈大人の音楽〉ともいうべき〈エイジフリー・ミュージック〉を必要としています。その“旗手”となるはずのアーティストだっただけに残念です。御冥福をお祈りします。合掌。
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category: 俺が言う!

2011/10/28 Fri. 20:24 [edit]   TB: -- | CM: --

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