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世界中が「花と太陽であふれますように」という平松愛理の想いはきっと届くはずです! 

 平松愛理は去年の3月11日、東京都練馬区にある眼科の駐車場にバックで車庫入れをしていたときに東日本大震災に遭遇しました。
 震災があってすぐに宮城県の仙台放送というテレビ局からリクエストを受け被災地に歌いに行きました。「こういうときって、歌とお花しかお送りすることができないんです」と平松は言う。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で平松の生家は全壊、アマチュア時代のバンド仲間など大切な人たちも亡くなりました。震災後「何かをしたい」と悩んでいた彼女の背中をポンと押してくれたのは街で出会ったボランティアの方の「平松さんは歌で神戸のみんなを元気づけて下さい」という一言でした。それがきっかけとなり、97年1月17日から毎年神戸で、復興支援音楽イベント〈KOBE MEETING〉 を続けています。ここから得た教訓は「今だけではなく、やりたいことをずっと続けていく」ということ。だからこそ、彼女は東北の被災地に“歌と花”を何度も届けに行ったのです。
 「私の出身の神戸市須磨区の区花“コスモス”の種を神戸から東北へ届け植えてきました。被災地から被災地へ、神戸の人たちの東北への想いが込められたコスモスの花が東北の地で咲きますようにと」
 そんな彼女の“想い”を込めたアルバム『花と太陽』がリリースされました。彼女がこのアルバムに込めた熱い想いはアルバム・タイトル曲「花と太陽」に凝縮されています。
 「これは私の恩師がくださったお手紙がもとで生まれた曲です。娘が中学に入学したときに“おめでとう”という手紙だったんですが、その中で恩師は『僕は10歳のときに両親を亡くしたから運動会とか勉強で一番になってもちっともうれしくなかった。でも、キミはこういううれしいときにキミと同じかそれ以上に喜んでくれるお母さんがそばにいてくれるのはすごいことだぞ』っていう内容でした。で、私が10歳の頃の恩師にもし会えるんだったら贈りたい歌を書こうと思って書いた曲なんですが、最後の締めのところで、書いているうちに枠がどんどん外に広がっていって、人の心と心が手をつなぎますように、世界中がそういう気持ちでいっぱいにあふれますように、という祈りでくくられているんです。たぶん、その部分が東北に届いたんじゃないかって思うんです」
 世界中が“花と太陽であふれますように”という平松の想いはきっと届くはずです。
 彼女がデビューして早いもので23年という年月が流れました。1989年2月21日にシングル「青春のアルバム」、アルバム『PRESURE』でデビュー以来、現在までにオリジナル・アルバムを11枚、シングルを25枚リリースしていますが、その中には92年にリリースされミリオンセラーを記録した「部屋とYシャツと私」もあります。アーティストとして第2コーナーから第3コーナーへ入った彼女はこれからどこへ行こうとしているのだろうか? その答えはアルバムのラストに収録されている「須磨海岸」にありそうです。
 「3歳の頃から私、曲書いてます。で、曲ができると、隣のヒロフミ君、マスミちゃんを連れて須磨海岸で歌ってたんです、大声で。今でも迷ったり辛いことがあったりすると須磨海岸に行って砂浜に座る。そうすると3歳の頃の自分に出会うんです」
 平松愛理にとって「須磨海岸」はアーティストとしての“原点”なのです。
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category: 俺が言う!

2012/02/22 Wed. 14:09 [edit]   TB: -- | CM: --

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