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〈時代のマニフェスト・ソング〉を書ける作詞家が必要とされています。あなたの出番です。 

 “時代のマニフェスト・ソング” を書ける作詞家(アーティスト)はいないものだろうか?時代のマニフェスト・ソングとは、常に時代の先取りをして、こうあって欲しい、こうあるべきだという理想形を“メッセージ”にこめたものです。換言すれば、時代が必要としているテーマをすくいとって歌にしている、ということです。
 時代が必要としている歌がヒット曲となる、と私は考えています。その意味では、時代のマニフェスト・ソングを書ける作詞家が必要とされているのです。
 時代のマニフェスト・ソングを描き続けた作詞家といえば阿久悠さんです。阿久さんは、常に時代の先取りをして、こうあって欲しい、こうあるべきだという理想形を“メッセージ”として送り続けたのです。だからこそ、阿久さんの詞には私たちを触発する“何か”があったのです。阿久さんの詞に私が初めて反応したのは、1971年に大ヒットした尾崎紀世彦の「また逢う日まで」でした。正直言って、この歌で阿久さんはまったく新しい価値観を提唱しました。
 この歌は男と女の別れをテーマにしていましたが、それまでの“別れの歌”は、男が女を捨てて行くという暗いイメージでした。つまり、悪い男がいて、未練たらたらの女がいる、という演歌の定番でした。ところが、阿久さんはそんな暗いイメージを見事なまでに突き破ったのです。別れにあたっては、どちらか一方が悪いのではない。男も女も対等に話し合いをして別れを決めて、それぞれが納得をして、お互いが前向きに新しい明日に向かって旅立っていくもの、というまったく新しい価値観を阿久さんは提唱したのです。その意味では、別れをネガティブなものからポジティブなものに百八十度イメージを変えたのです。当時20歳の私は「また逢う日まで」を口ずさみながら、自分自身の別れをポジティブに乗り切ったものです。その点においては、「また逢う日まで」には時代を変える鋭いメッセージがあったのです。
 「また逢う日まで」ばかりではありません。「北の宿/都はるみ」「勝手にしやがれ/沢田研二」「UFO/ピンク・レディー」などにも、時代的にも新しいメッセージがこめられていました。いずれにしても、阿久さんの詞には時代の先端のメッセージを乗せたものが多いのです。そして、そのメッセージが、これからの時代の中ではこうあるべきだという“理想形”が提唱されていたからこそ、阿久さんの詞は“時代のマニフェスト”としてたくさんの人たちに支持されたのです。
 しかし、残念なことは阿久さんはもういません。だとしたら、阿久さんの代わりに誰かが頑張るしかないのです。時代が今、必要としているのは“家族愛の歌”です。今ほど家族というものを強く意識させられる時代はありません。親が子を傷つけ、子が親に刃を向けるような凄惨な出来事が相次ぎ、なんで私たちはこうなってしまったんだろうかと考えこんでしまうほど、本来あるべき親子関係は崩壊しつつあります。今こそ、家族とその絆について真剣に考えるべき時なのです。そして、家族をテーマにした歌が必要とされているのです。いい歌はたくさんありますが「すごい!」と思わせる歌はそうざらにあるものではありません。すごい歌とは何か、というと、歌が現実を超えているのです。私たちが意識下で思っていること、気づかない本音を、歌にしてみせてくれるのです。そんな歌を聴いたとき、私たちは共感を覚えるのです。〈時代のマニフェスト・ソング〉を書ける作詞家が必要とされています。「我こそは…」と思う人、あなたの出番です。
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category: 俺が言う!

2012/05/14 Mon. 11:57 [edit]   TB: -- | CM: --

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