09« 2017 / 10 »11
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

「人生を賭けて歌っていきたい」と言う由紀さおりの音楽活動に終わりはない。チャレンジはこれからも続く! 

 由紀さおりの“快挙”に心から拍手を贈りたいと思います。彼女がボーカルを担当したPINK MARTINI&SAORI YUKIのアルバム『1969』が世界各国のアルバム・チャートにランクインして席巻しています。
 「もうね、3回もブレイクする人は珍しいって言われますが、まだまだこれからです」
 由紀が言うように、今回の“快挙”で彼女は3回目のブレイクを果たしたことになります。彼女は69年発売の「夜明けのスキャット」をはじめ数々のヒット曲を生み、さらにタレント、女優としても幅を広げましたが、85年に姉の安田祥子と共に“安田シスターズ”を結成して、童謡・唱歌を中心に歌い再び音楽に重点を置きました。そして09年から彼女は自分の原点である歌謡曲を〈21世紀の歌謡曲〉として再び歌い始め、アルバム『1969』のヒットへと継なげていったというわけです。
 童謡・唱歌について彼女は「教材用ではなく、日本文化の芸術文化の一翼を担うものとして、この日本語のきれいな歌の数々はそのカテゴリー、ジャンルとして確立したいと思った」と前置きして語ります。
 「安田シスターズのサウンドとしてアルバム作りが順調にいったときに、自分の言葉で作った歌は歌っていないんだけど、みんなが知っている歌を自分たちのフィールドで歌って伝えるということに歌い手としてのポジションがあると思ったんです。再現芸術っていうのかな。歌い手としてこういう存在のしかたもあると思ったときに少し自信を取り戻しました」
 安田シスターズの歌う童謡・唱歌は各世代をつなぐヒット曲がなくなってしまった時代に家族がそろって聴くことができるものとして受け入れられ、彼女は歌手として再び〈紅白歌合戦〉の舞台に立つことになります。そうしているうちに安田シスターズは「神田川」「なごり雪」などフォークの名曲も歌うようになります。これらは新しい叙情歌になるのではないかという目線でレパートリーに加えたと言います。しかし、このことによって彼女の心に“とまどい”が生じてしまいます。
 「一人称のものを二人で歌いわけるときに抵抗感があったんです。たとえば『なごり雪』なんかは姉と私の情景描写が違っていてもいいわけでしょう。姉が作り上げた1コーラス目の世界と私が引き継いで2コーラス目を歌うときは、違っちゃうところをひとつにしないといけない。そこにすごく抵抗感があったんです。1コーラス目も2コーラス目も自分で歌い切りたいんです。自分の世界観をここで作りたいと思ったんです」
 こうした考えから彼女の歌謡曲の歌い手としての心に再び火がついたのです。こうして歌謡曲に再び挑戦したのが40周年記念アルバム『いきる』です。しかし、周囲の反応は小さかったのです。「このままでは誰も振り向いてくれない」と感じた彼女は、自分を取り巻く環境を変えることを決めました。「過去の財産をなくしてもいい。もう1回デビューするくらいの覚悟でやろうと決めたんです」
 こうしてミーティングを重ね、PINK MARTINIとのコラボレーションというアイデアが出て、むこうにオファーを入れるという流れになったのです。『1969』を制作するにあたって彼女は言われたことは何でもやるという心がまえでした。新人として再デビューするつもりで可能性にチャレンジしたのです。結果的に、彼女の大いなる決断による“チャレンジ”が“快挙”を呼び込んだのです。彼女は強い向上心を持って常に何かを求め続けてきました。そのことが必然的に今回の〈3度目のブレイク〉につながったのです。「人生をかけて歌っていきたい」と言う由紀さおりの音楽活動に終わりはありません。チャレンジはこれからも続くのです。
スポンサーサイト

category: 俺が言う!

2012/07/02 Mon. 14:19 [edit]   TB: -- | CM: --

go page top