あるひとつの時代が新しい歌を生み、ひとりのスターを作り出していく。歌はその時代を生きる若者の“バイブル”となり、歌い手は“教祖”となるのです。
かつて“怒れる若者の季節”と呼ばれる時代がありました。1960年代後半から70年代にかけて、ベトナム反戦、学園紛争、安保反対と嵐が吹き荒れた時代です。ここから生まれたのが岡林信康であり、彼の「私たちの望むものは」などのプロテスト・ソングでした。これは時代に対するアジテーションであり、岡林は“反体制の英雄”でした。
そして、70年安保自動延長。それに伴ない、挫折感がたくさんの若者たちの心を包んでいきました。こうした運動と無関係ではなかったフォークも大きなショックを受けました。岡林は「今まで外にかみついてばかりいたけど、実は自分の中にこそ、かみつかなければならないところがあるのではないか」と、それまでの自分を総括しました。これはどういうことかというと、70年安保を境にして“外”に向いていた眼(意識)が“内”に向かい始めたこと、つまり、社会に対して痛烈にプロテストしていたものが自分自身に向けられ、自分の生活に根ざした歌が生まれたということです。そんな代表が吉田拓郎であり、彼の「今日までそして明日から」などの“青春メッセージ・フォーク”でした。
80年代になると、バブル時代となり享楽の果てに、全ての物差しが“お金”の世の中になってしまいました。拝金主義の世の中の常識に対するアンチ・テーゼ。学校、家庭という管理された枠組みに対するアンチ・テーゼ。そんな“心の叫び”を歌にしたのが尾崎豊でした。尾崎は同世代の“リーダー”であり、彼の歌は世の中の常識に対する“アンチ・テーゼ”だったのです。
90年代になると、バブルがはじけ、終身雇用制度が崩れ、就職氷河期を迎えました。一方、湾岸戦争の勃発、ソビエト連邦の崩壊、東西ドイツの統一などそれまで想像もできなかったことが起こり、その結果、何が正しくて、何が正しくないのかわからないという“ファジーな時代”に突入しました。しかし、それでも頑張って生きなければいけません。そんな時代には一緒に走ってくれて「頑張って!」とエールを送ってくれるマラソンの“伴走者”のようなありがたい存在が必要とされたのです。それがZARDの歌であり、坂井泉水だったのです。その意味では、ZARDの歌は“人生応援歌”であり、彼女は頑張る人たちの“伴走者”だったのです。
岡林信康、吉田拓郎、尾崎豊、ZARD、彼らの歌は紛れもなく“時代が必要とした歌”だったのです。時代が必要としたときに初めて“本当の歌”は生まれるのです。

