富澤一誠の「俺が言う!」
音楽評論家 富澤一誠氏の 「俺が言う!」を掲載していきます。
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コミュニケーション・ギャップを埋めるためには、お互いに“説明責任”と“理解義務”を果たすべきです!
“説明責任”がある、と最近よく言われますが、確かにそうかもしれません。
 しかしながら、いちがいに説明不足ばかりを責めていいのでしょうか? なぜかと言うと、確かに説明不足はいけません。当然、説明をしなければいけないことはきちんと説明をして責任を果たすべきです。このことに関してはまったく異論はありません。
 ではなぜ、つい言いたくなってしまうのか、と言いますと、説明責任が問われるならば、それに対する“理解義務”も当然生じるのではないか、と考えるからです。この頃つくづく感じることは、こちらが説明をしたつもりでも、若い人には伝わり切っていない、ということです。たとえば、「○時半頃に改札口で…。後で電話するから…」と言ったとしましょうか。もちろん、何度も言っていることですが、こちらは、今出かけているので正確な時刻がわかったら電話をするのでスタンバイしておいてくれ、と思っています。だから、当然のごとく、正確な時刻が出たときに電話をして「では○時半に改札口で…」と電話をかけます。しかしながら、電話には誰も出ません。彼らは改札に向かって出発してしまったからです。
 こんなときはふと考え込んでしまいます。やっぱりきちんと説明もしなかった自分がいけないんだと……。そんなとき、何と言ったらいいんだろうか、と考えてしまいます。おそらく正確をきするためには、こんなふうに言うべきでしょう。
「たぶん○時半頃になると思うけど、今のところは正確な時刻が見えないので、20分程前、つまり、○時10分頃に電話をするので、そうしたら、そのときに決めた時刻に改札まで来て欲しい」
 伝えたいことはきちんと最後まで正確に伝えるべきだ、ということは正しいと思います。そして、それが間違いを起こさないための最善策でしょう。ということは、きちんと説明責任を果たさなかった自分が悪いんです。
 しかし、面倒臭いな、とも正直言って思います。そこまで言われなくても、気をきかせろよな、ということです。こんなふうに思ってしまうことも事実です。特に初めてのことではない。何度もやっているのに、いつも同じことを言わせるんじゃない、と腹が立ってきます。こんなふうに考えると、こちらの説明不足を棚に上げて、気がきかないのが悪いと、つい責めてしまいたくなってしまいます。〈一を聞いて十を知る〉が論語にあります。「才知がきわめてすぐれていること。一つのことを聞いて十のことまで知る。わずかな示唆で、物事のすべてを理解するという意味」(「実用ことわざ慣用句辞典」三省堂刊)です。
 一を聞いて十を知る、とは言いませんが、一を聞いたらせめて二や三は察して欲しいと思います。これを説明不足と言われても納得はできません。最近、若い人たちと付き合っていて、話が通じないのは、こんな違いからではないでしょうか。一を聞いたらせめて三くらいは察せるはずだと思っている私にとっては、気がきかない奴らだな、ということになります。逆に、若い人たちにとっては、きちんと説明しろよな、いつも説明不足なんだよ、ということになります。このコミュニケーション・ギャップを埋めるためには、お互いに“説明責任”と“理解義務”を果たす努力をするべきなんです。
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