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エレックレコード「音楽文化遺産」の第2回発売ラインナップはまさに“お宝作品集”です! 

 エレックレコード「音楽文化遺産」の第2回発売ラインナップは“再発売”ならではのまさに“お宝的作品集”と言っていいでしょう。今回10月23日にリリースされたのは、ケメこと佐藤公彦の7枚のアルバム「午後のふれあい」「明日天気になあれ」「千羽鶴」「時が示すもの」「愛そして卒業」「片便り」「羊は山に」、そして丸山圭子の「そっと私は」、中沢厚子の「あなたが母を愛したようにあなたが父を愛したように」、秋吉久美子の「秋吉久美子」の10枚です。
 ケメこと佐藤公彦は中央大学1年生のときに仲間4人と“ピピ&コット”なるフォーク・グループを結成して、1971年秋に日本テレビ主催のコンテスト〈歌のチャンピオン〉で優勝しました。このとき審査員をしていたエレックレコードの浅沼勇プロデューサーにスカウトされました。浅沼氏は語ります。
 「ケメの甘い声質に引かれました。声にすごい色気があったんです。これは絶対だ、と思ったのでスカウトしたんです」
 プロにはなりたくないという他のメンバーと袂を分かって、彼は“ソロ・シンガー”として72年3月25日に『午後のふれあい』でアルバム・デビューしました。そして、5月5日発売のシングル「通りゃんせ」がヒットしてあっという間に人気者となったのです。“フォークのプリンス”吉田拓郎と人気を2分した彼は“フォークのアイドル”と呼ばれました。
 当時のフォーク・シーンは拓郎、泉谷しげるなど個性の強いメッセージ・フォークが全盛でしたが、そんな中で、美男子でかわいかった彼は異色な存在でした。だからこそ、ティーンの女の子がどっとついて彼はフォーク界初の“アイドル”となったのです。

 丸山圭子は16歳の頃から作詞・作曲を始め、17歳のときに〈VIVA唄の市〉で入賞。それがきっかけでエレックレコードにスカウトされ、72年11月にシングル「心の中の」、アルバム『そっと私は』でデビューしました。まだ18歳ながら“少女趣味”的な独自の世界は同世代にリアリティーを持って受けとめられました。 
 
 中沢厚子は70年に〈キリン・フォークコンテスト〉に3位入賞。それがきっかけで注目され、同年に吉田拓郎のデビューアルバム『青春の詩』の中で「男の子女の娘」を拓郎とデュエット。そして、73年9月にシングル「千羽鶴」でデビュー。11月にファースト・アルバム『あなたが母を愛したようにあなたが父を愛したように』をリリースし透明感あふれるボーカルで話題を呼びました。
 
 秋吉久美子はかぐや姫で大ヒットした「赤ちょうちん」「妹」(藤田敏八監督)の映画化で主役に抜擢され個性派女優として高い評価を得て注目されました。それで歌手デビューとなったわけですが、もともと音楽好きだったのです。芸能界入りしたきっかけは、高校3年生のときに受験勉強中に聴いたラジオの深夜放送、吉田拓郎の〈パックインミュージック〉で、拓郎が音楽を担当した松竹映画〈旅の重さ〉のヒロイン募集のオーディションを知って応募したということからもうかがいしれます。75年12月リリースのファーストアルバム『秋吉久美子』は彼女ならではの個性的な〈オンリーワン〉の世界で独特のオーラを放っています。
 いずれにしても当時エレックレコードが生み出した作品は〈時代の息吹き〉を見事に表現していた、のです。
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2013/11/27 Wed. 10:31 [edit]   TB: -- | CM: --

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