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〈Age Free Music〉のプロデューサーとして私は「こんな歌があったらいいな」という自分の〈想い〉をこれからも形にしていくつもりです! 

 引退して親方になった横綱が現役に復帰してもう一度相撲を取ることは考えられないことですが、ありえないことではありません。なぜならば女子テニスのクルム伊達公子の例があるからです。もちろん、そのためにはやむにやまれぬ熱い〈想い〉がなければ実現できないことは言うまでもありません。「まだやりつくしてない」とか「今の現状に喝を入れる」とか想いは様々ですが、伊達の活躍は同世代に対する強烈な“エール”になっていることは間違いのないことです。
 そんなことがミュージック・シーンにもあっていいはずだ、と私は思っています。私は今、〈Age Free Music〉を提唱して旗振り役を務めています。〈Age Free Music〉とは、〈演歌・歌謡曲〉でもない、〈Jポップ〉でもない、良質な〈大人の音楽〉という意味です。ジャンルも年齢も関係ない。大人が聴きたくなるような〈いい歌〉でありさえすればそれでいいのです。
 歌は歌であって、実は歌ではない、という時代がありました。これはどういうことかというと、スタイルはあくまで歌ですが、それを超えてしまう“何か”があったということです。換言すれば、歌は己れの自己表現の一手段だった、ということでもあるのです。かつて70年代フォーク&80年代ロックの時代は、歌とはそういうものでした。歌にアーティストの生きざまそのものが反映され、聴き手である私たちは歌を聴いてアーティストの“生きざま”に共感を覚えたのです。ところが、年月が流れ、歌そのものが変わってしまったように思えてなりません。いや、アーティストも聴き手も、歌に対する考え方が変わってしまったという方が適切です。一口で言うなら“たかが音楽”に成りさがってしまった、のです。だからこそ今、私は考えてしまうのです。内容の希薄な歌が本当に歌なのか、と。そして、歌はあの頃の〈原点〉に立ち返るべきなのだ、と。そんな私の熱い〈想い〉を代弁するのが〈Age Free Music〉なのです。
 人は皆、作詞、作曲家であり、歌手でもあるのです。私たちは曲が作れなくても、それぞれの脳裏ではメロディーが鳴っているのです。そのメロディーはこんな曲があったらいいなという私たちの〈想い〉なのです。そして、脳裏で鳴っているメロディーと近い曲、こちらはプロが歌っているリアルな曲ですが、そんな曲を聴いたときに、「これはいい」と共感を覚えるのです。また、人は皆、歌手でもあるのです。「こんな曲を歌いたい」という〈想い〉が脳裏にはあるのです。そして、その〈想い〉に近い曲を自然に選んで私たちはカラオケで歌っているのです。
 それと同じように、人は皆、プロデューサーでもあるんです。「こんな歌を歌うこんなアーティストがいたらいいな」という熱い〈想い〉を持っているはずです。歌はこうあるべきだ。こんなアーティストが今必要とされているはずだ。そんな〈想い〉を私は持っていて、だからこそ、その〈想い〉を〈Age Free Music〉のプロデューサーとして形にしたいと思っています。捜して見つからなければ、自分がプロデュースするしかありません。そんな〈想い〉でプロデュースしたのが広瀬倫子の「償いの日々~愛していると言われたことがない~」です。ラブソングはたくさんありますが、大人のラブソング“熟恋歌”はありません。だとしたら作るべきです。そんな熱い想いが結実したのが「償いの日々」なのです。私は〈Age Free Music〉のプロデューサーとして「こんな歌があったらいいな」という自分の〈想い〉をこれからも形にしていくつもりです。いい歌、いいアーティストを見つけたら、ぜひ紹介してください。
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category: 俺が言う!

2014/01/10 Fri. 16:30 [edit]   TB: -- | CM: --

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