人は常に理性と感情のせめぎ合いの中で生きています。ふだんは理性が感情をコントロールしているので、「ま、いいか」ときて「えい、やー!」とはならないのですが、ときどき理性が感情をコントロールできなくて、「ま、いいか」とタガがはずれて「えい、やー!」とばかりにとんでもないことをしでかしてしまうのです。
理性が感情をなぜコントロールできなくなってしまうのでしょうか? それは目の前のエサに負けてしまうからです。人は目の前の快楽には弱いものです。据え膳食わぬは男の恥、ではありませんが、女から仕掛けられた恋に尻込みするのは男として恥だ、とばかりに飛びついてしまうと、後で痛い目にあうことになります。そんなリスクを予感しながらも据え膳を食べてしまう男の弱さは、結局のところ、リスクに対してガードが甘いということです。
「ま、いいか」は男としてわかります。でも、そこでアクセルを踏むのではなく、ブレーキを踏む方が重要なのです。リスクを回避するためには、アクセルを踏みたいと思う“はやる心”を抑えて、冷静にブレーキを踏む勇気こそが男らしさの勲章なのです。はっきり言えば、大切だと思っている人に対しては、自分が確実に責任の取れることしか言わないし、しない、ということです。男らしくない、いくじなし、と言われるかもしれませんが、ここ一番のときにアクセルを踏み込む無謀さよりも、ブレーキをかけることのできる勇気の方が、男としての度量は上だ、と思います。
責任のある立場に立てば立つほど慎重にならざるをえません。つまり、責任の取れないことは言えないし、できない、ということです。逆に、責任のない立場にいる人は、自由奔放に好き勝手なことを言い、やることができます。しかし、誰ひとりとして責任は取らないので、無茶苦茶なことになってしまいます。
人間の品格とは、つまるところ、自分が確実に責任の取れることしか言わないし、やらない、ということなのです。「据え膳食わぬは男の恥」ではなくて「据え膳は吟味して食するのが男の甲斐性」なのです。

