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加藤登紀子のベストテイクの積み重ねが「知床旅情」に永遠の命を与えているのです! 

 加藤登紀子さんがデビュー50周年を迎えました。去る10月14日(火)、ビルボードライブ東京で〈加藤登紀子今が人生ど真ん中!歌手活動50周年記念パーティー〉が行われましたが、私も参加してきました。
 そんな彼女にとって忘れえぬ歌は「知床旅情」です。加藤登紀子に『日本哀歌集』という“企画アルバム”があります。これは北は北海道から南は沖縄まで、各地に伝わっている、いわゆる“名曲”を発掘して、彼女が歌うことで新しい息吹を吹き込もうという企画でした。そのために彼女及び制作スタッフは血眼になって曲を探しました。その辺のいきさつを当時の担当ディレクターの福住哲弥さんは語ります。
 「それぞれが手分けして文献をあたったり、お登紀さんはいろんな人に取材したりして、みんなでたくさんの曲を持ち寄りました。すると予想以上にいい曲がたくさんあった。これにはびっくりしました」
 そんな中から『知床旅情』『琵琶湖周航の歌』『西武門哀歌』などが選ばれ『日本哀歌集』という
アルバムが作られたのです。このアルバムから『知床旅情』(森繁久弥作詞・作曲)が1970年11月1日にシングル・カットされました。
 「この曲はお登紀さんが北海道に行ったときに、どこか船の中で聴いて持って来たんです。シングル化にあたっては、彼女のお父さんに勧められたようです。お父さんはその辺のことに詳しくて、これはいい曲だからと強力に推したようです。それと営業的には札幌のレコード店の宮武さんという店主が、これはお登紀さんで絶対にやるべきだ、というアドバイスをくれまして、それでやろうと決心したんです」
 レコーディングにあたり、福住ディレクターは彼女の哀愁のあるボーカルの魅力を最大限に生かした、“叙情歌”を作ろうということで、アレンジはアコースティックにし、アクセントとしてイントロに木琴を入れました。結果的に、この効果が大で『知床旅情』は実に印象的な歌に仕上がったのです。
 この歌が発売された頃、国鉄がちょうど“ディスカバー・ジャパン・キャンペーン”を展開していました。それにより未知なるものへの憧れが高まり、それに呼応するかのように、『知床旅情』はさながらディスカバー・ジャパンのキャンペーン・ソングのように全国に広がっていったのです。その結果100万枚を超える大ヒット曲となり、71年度の最も売れたシングルとなったのです。
 早いもので、あれからもう44年という年月が経ってしまいましたが、『知床旅情』の鮮度は落ちることがありません。それだけ名曲だということですが、この44年間、彼女が毎回ベストテイクで歌い続けたからこそ、『知床旅情』は今も生き続けているのです。ベストテイクの積み重ねが『知床旅情』に永遠の命を与えているのです。
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category: 俺が言う!

2014/11/11 Tue. 09:56 [edit]   TB: -- | CM: --

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