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常に新しいことにチャレンジしているユーミンですが、そのスピリットはデビューの頃に既にあったのです! 

 ユーミンと帝劇のコラボレーション第2弾〈Yuming sings…あなたがいたから私がいた〉は、ユーミンの歌と芝居が織りなすまったく新しいエンタテインメントです。常に新しいことにチャレンジし続けるユーミンですが、そのスピリットはデビューした頃に既にあったのです。
 1975年を境に、フォークはニューミュージックへ、と移行していきました。ユーミンこと荒井由実(現在の松任谷由美)の出現は衝撃的でした。いや、正確には“異質”だったと言った方がいいでしょう。
 私が初めてユーミンに会ったのは、TBSラジオのMディレクターから「今度東芝レコードからデビューする女の子で、いいのがいるのだが、聴いてみてもし良かったら、プロジェクトチームに入って何かアドバイスしてくれ」と頼まれたからです。プロジェクトチームでの私の役割はキャッチコピーを考えて作ることでした。それまでのフォークとは180度も異質なユーミンのポップな歌を印象づけるには、どうしてもわかりやすいキャッチコピーが必要だったのです。
 キャッチコピーを考えることに疲れたときに、たまたま彼女のアルバムを聴いてみたら、なぜか精神的に落ち着いてきました。変な理屈は言わないし、だからこそ精神鎮痛剤にもなるのです。そんな感じでした。これこそ彼女の音楽の魅力だと思いました。そう思ったとき、私の脳裏に“新感覚派”という言葉が浮かんだのです。“新感覚派ミュージック”はファースト・アルバム「ひこうき雲」のキャッチコピーに採用され、定義はパンフレットに印刷されました。これで万全だと思われました。しかし、フォークが隆盛を誇っている折、彼女の音楽はまさしく“異質”であり、新しすぎたのです。そのために売れませんでした。新しさ、については彼女自身も絶対的な自信を持っていました。
 「私は四畳半フォークなんて大嫌いです。私の音楽はイージーリスニングかな」
 彼女はそう語り、自らの音楽を“中産階級音楽”と称しました。彼女が言うように、彼女の音楽はそれまでのフォークとは明らかに異質でした。彼女の歌には、見事なまでに彼女の主張もなければ生活のにおい、人間臭さもなかったのです。ただあったのは心象風景というか、イメージの世界で、色彩感覚にあふれた風景画のようでさえあったのです。
 「ルージュの伝言」は75年2月に発売されました。この曲は60年代のアメリカのポップス調で、なによりもリズムのノリが良かったし、詞のセンスもシャレていて素晴らしかったのです。結果的にこの曲はスマッシュヒットとなりました。そんな下地ができ、ユーミン熱がくすぶり続けているとき、75年8月にユーミンが作詞作曲してバンバンが歌った「『いちご白書』をもう一度」、同年10月に自作自演の「あの日にかえりたい」が相次いで発売され、いずれも大ヒットしました。同時期にユーミンの曲が2曲も大ヒットしたことにより、好むと好まざるとにかかわらず、75年後半から爆発的な“ユーミン・ブーム”に突入しました。
 ユーミンの音楽はフォークとは一味違ったポップスでした。そのためユーミンほどニューミュージックという言葉にあてはまるアーティストはいなかったのです。こうしてユーミン人気に比例するかのように“ニューミュージック”という言葉も世の中に浸透していくことになるのです。早いもので、あれからもう40年以上が経ちましたが、ユーミンは今もなおフロントランナーとして未知の領域に常にチャレンジし続けています。まさに新感覚派ミュージックの面目躍如です。
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category: 俺が言う!

2014/11/13 Thu. 10:10 [edit]   TB: -- | CM: --

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