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“青春の心”が騒がなかったなら、“生きる屍”も同然です! 

 あなたの“青春の心”は騒いでいるでしょうか?――青春の心が騒いでいればいつまで経っても青春時代だし、騒いでいなければどんなに年が若くても青春時代とは言えないのです。
 青春の心が騒ぐ――それは青春時代であるか否かのバロメーターなのです。
 武田鉄矢は、1972年10月16日に家出同然で故郷・博多から上京しました。友人の中牟田俊男、千葉和臣が一緒でした。彼らはフォーク・グループ“海援隊”としてデビューが決まっていたのです。かと言って、何の保障もあったわけではありません。荒れ狂う大海に、小舟で漕ぎ出すに等しかったのです。それでも彼らは船出しました。この時、鉄矢の“青春の心”には嵐が吹き荒れていたのです。その嵐の源は坂本竜馬でした。
 鉄矢が竜馬と“接触”したのは、高校二年の秋のことでした。ふらりと立ち寄った本屋に、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(全五巻)が並べられていました。タイトル名にひかれて買い求めました。読み進むうちに鉄矢は、すっかり竜馬に魅せられてしまう。それまでは歴史上の偉人の一人でしかなかった竜馬が、いつしか身近な友人のように思われてくるのでした。
 竜馬は子供の頃、自分の名前も満足に書けませんでした。体ばかりが大きくて、バカ息子の典型でした。そのことを本を読んで知った時、鉄矢は「なんだ竜馬もオレと同じ劣等生だったのか」と思わずひざをたたきました。全五巻を読み終えた時、鉄矢は大粒の涙をボロボロと流しました。それは、物語に感動して流した涙ではありません。坂本竜馬という身近に感じられる友人を“暗殺”で亡くしてしまったことに対する涙だったのです。この時から、竜馬は鉄矢にとって歴史上の偉人ではなく“人生の師”となったのです。そう思うと、体中の血が自然と燃えたぎってくるのでした。その熱き思いが、鉄矢をして上京たらしめたのです。ここに鉄矢の“青春の原点”があるのです。
 それから13年半後のこと――鉄矢は、映画「幕末青春グラフィティ・Ronin・坂本竜馬」に主演し、憧れの竜馬そのものになり、夢を自分の手につかみとったのです。さらにそれから30年という年月が流れました。
 海援隊ほどの実績のあるキャリア・アーティストはあえて冒険なんかしなくても“昔の名前で出ています”で十分やっていけます。しかし彼らはあえて13年ぶりのオリジナル・アルバム「去華就実~花散りて次に葉茂り実をむすぶ~」作りに挑戦しました。なぜでしょうか?“思い出”になりたくないからです。彼らの代表曲「贈る言葉」は思い出の名曲フォークと高い評価を得ていますが、彼らが今やりたいのは、今の年齢でしかできない“今の歌”なのです。いわば寄る年波を堂々と歌うということです。武田鉄矢、中牟田俊男が共に65歳、千葉和臣が62歳。このアルバムには60歳を過ぎた男の本音が凝縮されています。鉄矢の“青春の心”は今もなお騒ぎ続けているのです。あなたの“青春の心”は騒いでいますか?
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category: 俺が言う!

2014/12/24 Wed. 17:37 [edit]   TB: -- | CM: --

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