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松山千春「それぞれがそれぞれの器の中で頑張ればいいんじゃないか。オレは歌で頑張る!」 

 松山千春の名曲「大空と大地の中で」のショート・ストーリーです。父・松山明さんの「とかち新聞」の手伝いを始めた千春は、しばらくの間、幸福でした。息子として一丁前に父の仕事を手伝える、そのことだけで、とりあえずは満足でした。
 ですが、しばらくたつと、新たな悩みが生じてきました。
 「前からオヤジの仕事を手伝いたい、と本気で思っていた。だから、つらいとか、面白くないとか、やめたいなんて一度も思ったことはなかった。ただ、ふと、考えることがあったんだ。オレはオヤジの仕事の手伝いをして一生を終わるんだろうかって…。こんなこと、だれにも言ったことはなかったけど、けっこう深刻だったね。ひょっとしたら、オレの人生は、オヤジにやりたいことをやらせて、オヤジが死んでから始まるのかなあって…。もっとも、オレの人生を何年間か棒にふってもかまわないような、すばらしいオヤジだったけどね」
 父の仕事を手伝うことは、千春にとって、確かにうれしいことではありました。手伝える――それだけで心は満たされました。しかしながら、自分自身の“道”となると話は別だったのです。
 「オレ自身は本当は何をやりたいのか? そう考えると、心の片隅にポッカリと穴があいてしまうようだった」
 足寄に帰ってきて、父の仕事を手伝いながらも、千春は暇さえあれば、ギターをつま弾いて歌を作っていました。父の仕事の手伝いが終わるとすぐに、自宅の2階にある自分の部屋に行き、千春はギターを片手に日記がわりに歌を作り始めました。歌は間違いなく、千春の心を充足させるものでした。千春は父の仕事を手伝いながらも、次第にフォーク・ソングにひかれていきました。
 千春は常に自分の意見や考えを主張していたいものだと考えていました。自分の存在を証明するには自己表現をするしかない。ただ、その表現手段がそれまでは明確にはわからなかったのです。しかし、次第にフォークこそが、自分にとって最適な自己表現手段ではないか、と思い始めました。
 ちょうどそんなころ、昭和50年の夏に、千春の高校時代の友達、鈴木幸広君が農業学校を卒業して足寄に帰ってきました。彼は足寄開拓農協に勤め出しました。鈴木君が帰ってきたことを、千春は喜びました。過疎の村に残る若者は数えるほどしかいない。そんな状況ですから、鈴木君の帰郷を喜ばないはずはなかったのです。
 佐藤耕一君も鈴木君を歓迎した1人でした。佐藤君は千春の高校の友達で、高校を卒業してすぐに、家を継いで酪農の仕事をしていました。自然と3人で集まって飲んだり、騒いだり、議論することが増えてきました。
 そんなある日のこと。酒に酔った佐藤君が胸の内を洗いざらいぶちまけるように叫びました。
 「どうせ、オレは百姓だ。オレの人生なんて…」
 そのとき、千春は「そんなことはない」と言ってしゃべり出しました。
 「オレに牛の乳をしぼれと言ってもできないように、お前に歌を作れと言ってもできないだろう。職業に貴賤なんてない。それぞれがそれぞれの器の中で頑張ればいいんじゃないか。オレは歌で頑張るから、お前は酪農で頑張れ!」
 そんな議論の中から生まれてきたのが、“生きることがつらいとか 苦しいだとかいう前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ”と歌う「大空と大地の中で」です。
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category: 俺が言う!

2015/02/17 Tue. 16:08 [edit]   TB: -- | CM: --

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