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「たかが音楽」に成り下がったJ・ポップの行く末! 

 拙著「ユーミン・陽水からみゆきまで ~時代を変えたフォーク・ニューミュージックのカリスマたち~」(廣済堂新書)で、私が言いたかったことはただひとつです。第1章「『反体制の英雄』岡林信康の挫折」の中で書いていますが、小見出しは、「『たかが音楽』に成り下がったJ・ポップの行く末」ということです。いつも言ってることですが、この本に書いたことをご紹介したいと思います。
“音楽は音楽であって、実は音楽でない”――という時代がありました。
 もう30年以上も前のことです。
 片桐ユズルさんは言います。
「それまで僕は音楽を純粋に音として聴こうとしていた。しかし、関西フォークとの出会いは、歌というものはむしろ非常に社会的な現象だということが――僕はもう一度、青春をやり直しながら――わかった。関西フォーク・ソング運動は、いわゆる音楽の世界で無視されたり抑圧されたりしてきたこと――普通の素人が自分の作った歌で表現するというようなこと――それは音楽的には単純なものであっていいことなど――の復権だった」
 片桐さんの語るように、フォークは音楽をプロからアマチュアへと解放しました。だからこそ、たくさんの若者が音楽という既成概念にとらわれることなく、音楽で自己表現できたのです。その意味で、フォークは音楽であって、実は(既成の意味での)音楽ではなかった。これはどういうことかと言うと、スタイルはあくまで音楽ですが、それを超えてしまう「何か」があったということです。換言すれば、音楽は己れの自己表現の一手段だったということです。かつて、フォークの時代は、歌とはそういうものでした。歌にアーティストの生きざまそのものが反映され、聴き手であるぼくらは歌を聴いてアーティストの「生きざま」に共感を覚えたのです。
 ところが、年月が流れ、歌そのものが変わってしまったように思えてなりません。いや、アーティストも聴き手も、歌に対する考え方が変わってしまったという方が適切でしょうか。
 歌のスタイルはかつてのフォーク一辺倒の時代からロック、ポップス、ヒップホップ……などと多様化しましたが、そんななかで音楽は――一口で言うなら、「たかが音楽」に成り下がってしまった、と僕は思っています。でも、それは「音楽は音楽としての純粋性を取り戻した」というパラドックスでもあります。
 しかし――と僕は考え込んでしまうのです。
 いくら音楽性があったとしても、内容の希薄な歌が本当に歌なのか、と。
 いまこそ、J・ポップは「原点」に立ち返るべきです。
 さもなければ、巷にはJ・ポップと称される音楽が氾濫していますが、僕の考えるJ・ポップは終わってしまった、と宣言せざるを得ません。
 岡林信康の挫折と、僕たちの生き方が無関係ではないことだけは、いま、しっかりと記しておかなければいけないのです。
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category: 俺が言う!

2015/04/15 Wed. 14:28 [edit]   TB: -- | CM: --

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