04« 2017 / 05 »06
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

“風見”付きの“ポリシー人間になることが、今の世の中には必要です! 

 風見鶏。屋根の上や船の上に付けて風の方向を知る道具で、矢やニワトリの形をしたものが多い。という訳で、風向きによってクルクルと方向が変わる、という特徴があります。この特徴から、「あの人は風見鶏だ」というように使われます。この場合、決していい意味では使われません。つまり、風向きによってコロコロと態度が変わるので調子のいい奴、という意味で使われているのです。
 政界の風見鶏といえば中曽根康弘元総理が有名ですが、私たちのまわりにも調子のいい“風見鶏人間”は必ずいます。「あいつは風見鶏だから……」と言われると、言外にあてにならないお調子者という評価が下されています。しかしながら、と私は最近考えてしまうのです。確かに風見鶏はほめられたものではありません。風の吹く方向、つまり、自分にとって都合のいい方向に顔を向けるということは、力のある人間につくということですが、ポリシーがない、と言われてもしかたがありません。でも、風を読んで力のある人間にいち早くつくということは生き方としてはあるのではないでしょうか?
 なぜこんなことを考えるようになったかというと、最近“KY”、換言すれば“空気が読めない人間”が増えているからです。安倍晋三前総理は“KY”人間の象徴として揶揄されていますが、なぜ安倍前総理は“KY人間”になってしまったのでしょうか? それは政治信条をしっかりと持っていた政治家だからです。いうなら政治家としてポリシーを持っていた、ということです。そのポリシーに基づいて政治を突き進め、教育基本法改正、防衛庁の防衛省への昇格などを強引に達成しました。しかし、参議院選挙の大敗で風向きが変わってしまったことを感じとれなかったのです。いや、風向きが変わったことを感じてはいましたが、政治信条を強く持っていたために、風向きに自分を合わせることを良しとしなかったのです。だから、それまでの“順風”が風向きが変わったことにより“逆風”となって、それをもろに受けることになってしまったのです。
 そこで仮定の話ですが、安倍前総理が風向きが変わったときに、適度に“風見鶏”になっていたとしたら、どうでしょうか? あれほどの逆風を受けることはなくて、ポッキリと折れてしまうことはなかったのではないでしょうか。しかし、現実にはそれができなかった、ということは、彼は政治信条を強く持ちポリシーを押し通した結果、しなやかに現実に対応することができなかったのです。
 結論です。ポリシーを持つことは素晴らしいことですが、そのポリシーに固執してしまうと、現実に対応するしなやかさを失ってしまいがちです。現実を読んで変化できない、ということは、いかがなものか?です。そんなことを考えると、ポリシーに固執しすぎることも考えものです。やはり、適度に風見鶏になれる、しなやかな柔軟性も大切だということです。風見鶏すぎるのもいけません。だとしたら“風見”を付けたポリシー人間になることが、今の世の中には必要ではないでしょうか。そうすれば“KY人間”になることもなく“風見鶏”と軽く見られることもないのです。“風見”付きのポリシー人間にあなたはなれるでしょうか……。
スポンサーサイト

category: 俺が言う!

2007/10/16 Tue. 11:18 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

コメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tomisawaissei.blog72.fc2.com/tb.php/43-d761b55b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top