政界の風見鶏といえば中曽根康弘元総理が有名ですが、私たちのまわりにも調子のいい“風見鶏人間”は必ずいます。「あいつは風見鶏だから……」と言われると、言外にあてにならないお調子者という評価が下されています。しかしながら、と私は最近考えてしまうのです。確かに風見鶏はほめられたものではありません。風の吹く方向、つまり、自分にとって都合のいい方向に顔を向けるということは、力のある人間につくということですが、ポリシーがない、と言われてもしかたがありません。でも、風を読んで力のある人間にいち早くつくということは生き方としてはあるのではないでしょうか?
そこで仮定の話ですが、安倍前総理が風向きが変わったときに、適度に“風見鶏”になっていたとしたら、どうでしょうか? あれほどの逆風を受けることはなくて、ポッキリと折れてしまうことはなかったのではないでしょうか。しかし、現実にはそれができなかった、ということは、彼は政治信条を強く持ちポリシーを押し通した結果、しなやかに現実に対応することができなかったのです。
結論です。ポリシーを持つことは素晴らしいことですが、そのポリシーに固執してしまうと、現実に対応するしなやかさを失ってしまいがちです。現実を読んで変化できない、ということは、いかがなものか?です。そんなことを考えると、ポリシーに固執しすぎることも考えものです。やはり、適度に風見鶏になれる、しなやかな柔軟性も大切だということです。風見鶏すぎるのもいけません。だとしたら“風見”を付けたポリシー人間になることが、今の世の中には必要ではないでしょうか。そうすれば“KY人間”になることもなく“風見鶏”と軽く見られることもないのです。“風見”付きのポリシー人間にあなたはなれるでしょうか……。

