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80歳になった若大将〈加山雄三〉の魅力とは? 

 「華がある」という言葉はこの人のためにある、と言っても過言ではないと思います。
 私がパーソナリティーを担当しているFM音楽番組にこの人がゲスト出演したときのことです。スタジオのドアが開いて現れたとき、それまで薄暗かったスタジオが真夏の太陽を浴びたかのように明るくなったのです。まさに“永遠の若大将”加山雄三でした。
 慶応大学法学部卒業後、1960年に東宝に入社し映画デビュー。翌61年に〈大学の若大将〉に出演し人気者に。さらに65年6月に歌手として「恋は紅いバラ」をリリース。この曲のヒットを契機に“加山雄三ブーム”が起こり、〈若大将シリーズ〉は東宝のドル箱となりました。それ以降も、加山は「君といつまでも」「夕陽は赤く」「お嫁においで」「旅人よ」「夜空の星」など連続してヒットを飛ばしました。加山は普段着のままテレビに出演し、エレキ・ギターを自ら弾いて歌いました。バックバンドはザ・ランチャーズ。その姿に若者たちは熱狂し憧れました。
 なによりも加山が、「弾厚作」というペンネームで全ての曲を作曲していたことがカッコ良く映ったのです。その頃、中学生だったさだまさしはラジオからたまたま流れて来た加山雄三の「君といつまでも」を聴いて「こんな楽しい音楽があったのか」と思ったと言います。
 バイオリニストをめざし「クラシック以外に音楽はない」と思い込んでいたさだにとって加山の歌は実に楽しかったのです。さだはいっぽうであいかわらずバイオリンの練習を続けながら他方で加山に熱狂したのです。さたの生活のあらゆるところに“加山雄三”はいました。たとえば自分のゲタにも“加山雄三”と名前が書かれていたほどです。こうして、加山の影響でさだはギターを持ち曲を作り始めたのです。さだだけではありません。谷村新司も南こうせつなども加山に触発されて曲を作り始めたのです。
 今から50年以上も前、まだ誰もシンガー・ソングライターではなかった時代に、加山は自分で作詞、作曲をして、なおかつエレキ・ギターなど楽器を弾きながらなぜ活躍できたのでしょう?
 「小学校の5年ぐらいからピアノを習っていたんです。自分ででたらめに弾いているうちにだんだんと曲になってきて、面白いなあと思ってやっていたら、後ろで親父が聴いていて『いいね』とほめられて、それで本気になって…」
 それからは仲間を集めては楽しみながら音楽をやっていたと言います。そんな若い頃のレアな音源が今回見つかった、ということで、それを収録した2枚組のアルバム「加山雄三のすべて。 幸せだなぁ。ベスト&レア音源集」がリリースされました。今から50年以上も前の貴重な音源に加山の本質が凝縮されています。80歳になった若大将の“永遠の魅力”がここにあるようです。
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category: 俺が言う!

2018/05/16 Wed. 16:56 [edit]   TB: -- | CM: --

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