<製造年月日の表示が消費期限や賞味期限に変わったことの弊害を指摘する専門家もいる。かつては、日にちがたった食品のにおいをかいだり、味見をする光景はどこの家でも見られたものだ。今や食べられるかどうかの判断をすべて作り手にゆだねてしまった。五感の衰えは、本物とニセ物を見分ける力の低下につながっている。>
このコラムを読んだとき、私は音楽にも言えていると思いました。いや“食べ物”を“歌”に変えると、それだけで十分に通用してしまうと怖くなってしまいました。すなわち、いい歌か否かの判断を、私たち音楽ファンはすべてレコード会社などの送り手にゆだねてしまったのです。これは具体的にどういうことかというと、新しく生まれた歌を、自分で聴いて、心で判断していないということです。本来、歌のあるべき姿は、ユーザーに聴いてもらって、いいか否か判断してもらうことです。ところが現実は、ユーザーが自分から積極的に聴いて、「これはいい歌だ」と自分で判断することはあまりない、ということです。では、どうしているのか、というと、テレビを通して大量に流される歌がいい、と考えているということです。
しかしながら、捨てたものではありません。まだ、いい歌を自分の耳で聴き、心で発見する“音楽愛”を持ったユーザーもいるのです。そんなユーザーたちが、タイアップのあるなしに関係なく、自力で発見して育て上げたのが、秋川雅史の「千の風になって」のミリオンセラーと今、<紅白>に抜擢されたことで注目を浴びたすぎもとまさとの“すごい歌”「吾亦紅」です。この2曲の歌は、ノンタイアップにもかかわらず、曲自体の持つ曲力と歌力で自力でヒット・チャートを駆け上がりました。それを後押ししたのが、音楽愛にあふれた音楽ファンの“見識”です。この見識があったからこそ、「千の風になって」「吾亦紅」は脚光を浴びたのです。そんなことを考えると、私たち音楽ファンの“大人の見識”が埋もれている本当に“いい歌”をヒット曲に育てるのです。あなたの見識はいかがでしょうか?

