富澤一誠の「俺が言う!」
音楽評論家 富澤一誠氏の 「俺が言う!」を掲載していきます。
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ヒラリー卿追悼!“歴史上の人物”を神棚からたまにはおろして“命”を吹き込むことも必要です!
 世界最高峰のエベレスト(中国名・チョモランマ、8848メートル)の初登頂に成功したニュージーランド人の登山家、エドモンド・ヒラリー氏が死去しました。この訃報をテレビ・ニュースで知ったとき、私は不謹慎にも、まだ存命だったのか、と思ってしまいました。なぜかというと、エベレストを世界で初めて制服したヒラリー卿はあまりにも有名なので、私にとっては既に“歴史上の人物”になってしまっていたからです。おそらく、そう思った人は私だけではないはずです。つまり、それだけヒラリー卿の偉業はすごいということです。しかし、彼は享年88歳。想像以上に若いのです。
 歴史上の人物・ヒラリー卿が88歳だと知ったとき、初めて彼は歴史上の人物から身近な存在に感じました。と同時に、彼のことをもっと知りたいという想いが湧いてきました。これまでは世界最高峰のエベレストを初登頂した登山家ということぐらいしか知りませんでしたが、新聞数紙を読むことによって、はっきりとイメージが湧いてきました。
 ヒラリー卿は1951年に英国のエベレスト偵察遠征隊に初参加しました。そして53年、英国の第9次遠征隊に参加したときに初登頂に成功しました。このとき、他の隊員が極度の疲労で引き返さざるをえなくなった中にあって、彼と地元ネパールのシェルパ・テンジン・ノルゲイ氏(故)は共に初登頂に成功したのです。
 実はこのとき、エベレスト初登頂をめぐっては、国同士が威信をかけて争っていたのです。つまり、国家の威信をかけた戦いがエベレスト初登頂の先陣争いだったのです。これには伏線があるのです。エベレスト初登頂前の先陣争いがありましたが、北極点は米国隊、南極点はノルウェー隊が一番乗りをはたしていたのです。その結果、最後に残された“極点”がエベレストだったのです。
 大国・英国にとってエベレスト初登頂は国の威信をかけたイベントでした。なぜならば、北極点、南極点で先を越されていただけに、ぜがひでもエベレスト初登頂では負けるわけにはいかなかったのです。そこで英国は、本国の優秀な登山家だけではなくて、英連邦に所属する国々からも登山家を募ったのです。その中のひとりに、英連邦ニュージーランドから参加したヒラリー卿がいたのです。ヒラリー卿はシェルパのテンジン氏と共に、南東稜から最後の難関の垂直に近い岩場、標高差100メートルを2時間半余りかけて登り切り、5月29日午前11時半に頂上に遂に到達したのです。
 この功績によりヒラリー氏は“ナイト”の称号を得てヒラリー卿となったのです。各紙を読んでいると、それまで“歴史上の人物”だったヒラリー卿が、現代の若い“ヒーロー”と同じような感覚で蘇ってきました。エベレスト登頂は今でも大変な難業ですが、それを世界で初めて成し遂げたということはすごいことです。ヒラリー卿が亡くなったことで、私は改めて彼の“すごさ”を知ることができました。そんなことを考えると、“歴史上の人物”になるということは、“すごい人”を棚上げしてしまう危険性があるようです。私たちは、たまには“歴史上の人物”を神棚からおろして“命”を吹き込むことも必要なのではないでしょうか?(参考文献 「産経新聞2008年1月12日付朝刊」「夕刊フジ08年1月12日付」)
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2008/01/16(水) 13:36:05 |
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