〈今は少しでも危険のある治療や病気の説明は、実際以上に悪く言うことが多い。危機管理とは最悪に備えることだ。希望的観測は相容れない。できるだけ悲観的に見ていたほうが、現実は人に優しい。〉
まったくその通りだと思います。特に〈できるだけ悲観的に見ていたほうが、現実は人に優しい。〉というフレーズには、瞬時にしてハートを奪われてしまいました。なぜかというと、確かにその方が“現実は人に優しい”と思うからです。
私たちはともすれば、現実という壁にぶつかったとき、はね返されたり押しつぶされたりします。その意味では、まさに現実は人にきびしいのです。だが、本当にそうなのでしょうか?と、私は心の片隅でいつも思っています。でも、それは裏を返せば、私たちが現実を甘く見すぎていた、ということに対するしっぺ返しでもあるのです。
しかしながら、冷静に考えてみると、現実がきびしいのではありません。現実を甘く見ていたからこそ、私たちの方の見通しが甘かったのです。現実はきびしい、と現実に責任を転嫁することではなくて、自分が甘かったのだ、と真剣に受けとめて反省をするべきなのです。さもなければ、いつまで経っても現実はきびしい、と逃げているばかりで何も変わらないでしょう。
最近、危機管理の必要性が言われますが、危機管理とは最悪な事態に備えて、それを乗り切るようにする、ということです。言うまでもなく、最悪の事態が起きたと仮定して、その中で何ができるのか? そして、何をするべきなのか?ということをできるように準備しておく、ということです。
何事もそう簡単に事はいい方向には進みません。だからこそ、1から5くらいまで打つ“手”を考えておくべきなのです。1がダメだったら2、2がダメだったら3……。それでもダメだったら最悪は5、もうこれ以下はないところでも最後は決める、という気持ちがないと長くは続かないと思います。そんなことを考えると、始めから最悪の状態を予想した方がいいかもしれません。そうすれば、思いがけなく、それ以上にできた場合は“奇跡”になるからです。そうすれば、きびしい現実も“優しい”現実になるのです。きびしい現実を“優しく”させるには、自分の見通しを辛くすることです。

