このサプライズ・ゲストを仕掛けたのが、長野高校の同級生で現在、信越放送でテレビ局長を務めている麻山智晃君です。彼とは長野に行った折に時々飲む仲ですが、実は今回の一件には“伏線”があったのです。
「数日前になりますが、麻山君が来訪、この素晴らしい著書を届けてくれました。まだ大雑把に目を通しただけだが、その帯にあるように、音楽を聴いて感動したら熱く語る。その語りが、やがて次の語りを呼び、熱気を帯びながらたくさんの人々を巻き込んでいく。その語りにあたって、常に自分自身を生きているだろうか?と反省し悩む姿、まさに人間哲学の書である、と感動している。」
うれしい言葉をいただき、すぐさま御礼の電話を差し上げたのは言うまでもありません。北原先生は私にとってはまさに恩人です。歌手になろうか、東大を受けようか、と悩んでいる高校3年生の私に、あのとき先生は絶妙な“進路指導”をしてくれたのです。
「キミにとっては、歌手になるよりも東大に入るほうがはるかに確率は高いぞ。な、悪いことは言わん。東大に入ってから歌手になることを考えてもいいじゃないか」
先生のアドバイスに従って、私は歌手になりたいという夢を封印して受験勉強に励み、その結果、東大に合格できた、という訳です。
あれから38年が経って、北原先生から明かされた驚くべき事実があったのです。
私が高校3年生の時代、東大合格者数で長野高校は松本深志高校と長野県で熾烈なトップ争いをしていました。当初は深志高校が圧倒していましたが、私たちの時代に1名差で逆転して以来、長野高校が年を追うごとに圧勝していきます。いったい何が原因だったのでしょうか? これは北原先生の告白です。
「富澤にはこれまで決して言わなかったんだけど、実はお前がきっかけなんだ。あの頃の長野高校はそれまでの実績からいって、学年で10番以内に入っていないと東大合格は難しい。だから、そういう進路指導をしていた。ところが、富澤の場合は、高3の中間試験の結果が24番だったかな。当然難しいよな。でも、お前は現役で見事に合格してしまった。それからだよ。それ以来、24番で受かるんだったら、俺も……。ということになって、それまでは東大を敬遠していた連中が大量に受けるようになった。当然、受かる確率は高くなるわな」
つまり、当時の私は高校独自の大学合格データを裏切った、ということです。データ的には合格できるはずのない人間が合格してしまった結果、それ以降、データにとらわれない人たちがチャレンジすることによって、母校のランクがあがったという訳です。誉められて複雑な心境ですが、当時の私は受かると自信を持っていました。というのは、最後の試験は“活字恐怖症”になってしまい調子が悪かっただけだからです。それまでは常にベストテンに入っていたので、実力を出しさえすればいけるはずだ、と確信していたのです。要はデータよりも自分の熱い“想い”です。“想い”がデータを乗り越えることもあるのです。
本人の熱い想いがデーターを乗り越えることを期待しつつ、親である私自身が無理だと
あきらめないように熱い想いを持ち続けて行きたいと思います。
ところで、ラヂオ番組のザ・フォーク検定は熱い想いを持って製作されていますでしょうか?
音楽評論家として富澤さんが「ザ・フォーク検定」というプログラムを客観的に聴き評論して
ほしいと私は強く思っています。

