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「聞き歌」から「歌い歌」へ。「神田川」から35年が経って、作詞家・喜多條忠さんは今、何を“実感”しているのでしょうか? 

 幻戯書房という出版社から本が送られてきました。あけてみると、作詞家・喜多條忠さんの新刊『女房逃げれば猫マデモ』が出てきました。帯を見てみると<数々の名曲を書いた「伝説の作詞家」が初めて書き下ろした「実感」長編小説>というキャッチコピーが踊り、また作家・重松清さんの推薦文が目に飛び込んできました。<そうだ。生きることって、こんなにもホロ苦くて、せつなくて、あたたかいんだ。『神田川』から本書まで、ガキの頃からオヤジになったいまでも、オレ、ずーっと喜多條さんに青春と人生を教わってるんだなあ……。>
 そんなフォーク好きの重松さんの推薦文にあおられて、さっそく読むことにしました。「実感」小説ということはおそらく私小説に違いない。そう思いながら読み出すと、さっそく離婚の話から始まっています。女房に逃げられた主人公と2人の子供たちの話らしい。ということは、ずっと前に聞いたことのある喜多條さんの人生がベースとなっているのでしょうか……。読み進んでいくうちに、主人公は作詞家でこれはどうやら喜多條さんらしい。そんなふうに思いながら読んでいくと、これは小説なのか、喜多條さんの実話というかノンフィクションなのかわからなくなってくるから不思議です。いうならば、ノンフィクション・ノベルです。
 とにかく喜多條さんの人生をのぞき見するかのように一気に読み進んでいくと、ちょうど半分くらいきたときに実に興味深い登場人物が現れました。江の島の豪邸に住む“クジラ先生”という作曲家。どうやらこの先生は私がよく知っている実在の先生らしい。もちろん仮名で書いてあるけれども、私の知っているK先生に間違いないようです。なぜフォークの喜多條さんと演歌・歌謡曲の大作曲家のK先生が知り合いなのか興味を持ちながら読んでいくと、ハッと胸を突かれる言葉にぶちあたりました。少し長くなるが引用させていただきます。
 <(略)歌なんてゆっくりしていたら、またそのうちに書けるようになる。だいいちまだお前なんかロクな歌書いてねぇだろう。お前さんの書く詞なんてモンは、まだまだ「聞き歌」だろ。ひとりでジトッと聞いてりゃ、いい歌かもしれねぇが、風呂場で鼻歌で歌って気持ちがよくなる歌なんて、お前さん、まだ1も書けちゃいない。「歌い歌」が書けなくちゃな」
 先生はもう完全に真顔だ。
「人生ってやつは本じゃねぇんだ。人生を本にするやつはいるけど、本いくら読んでもたいした人生にならねぇだろう。まだまだお前さんの詞にはマグロみたいな立派な骨がねぇな。タコみたいなもんだ。(略)>
 この文章を読みながら、思わず“深い”と思いました。さりげない会話の中に、歌の本質を見事に言いあてて分析しています。「聞き歌」と「歌い歌」。確かにそうです。言ってみれば今流行りのJポップは「聞き歌」かもしれません。聞く分にはいいけれども、そこを乗り越えるものではありません。それに対して、時代を越え世代を越えて歌い継がれるスタンダード・ナンバーは「歌い歌」ですが、これはそう簡単に生み出せるものではありません。だからと言って、そのことに甘んじていいはずはありません。「聞き歌」もいいが、「歌い歌」にチャレンジし続けることも大切なのではないでしょうか。喜多條さんの人生はこの小説を乗り越えたからこそ、今は「歌い歌」の境地に達しているのかもしれません。「神田川」から35年が経って、作詞家・喜多條忠さんは今、何を“実感”しているのでしょうか……。
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category: 俺が言う!

2008/10/20 Mon. 14:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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