そもそもこのコンサートのきっかけは、メセナホールの長谷川裕晃さんから私あてにメールが送られてきたことでした。「富澤さんプロデュースによるフォーク・コンサートを企画したい」という長谷川さんからの熱いオファーに、私はやる気になりました。というのは、高校を卒業して上京以来38年間、私は東京を意識して常に仕事をしてきました。結果的に故郷のことを考えたことはありませんでした。しかしながら、50歳を過ぎた頃から、私を育ててくれた故郷に何か恩返しできないものか、と考えるようになりました。そして、まず初めに地元放送局・信越放送(SBC)のラジオでフォークの番組を始めました。おかげさまでこちらは好評で4年目を迎えています。この番組をやっているうちに、故郷の人たちの熱い想いが伝わってきました。それは私に対する暖かい声援です。その声援を肌で感じた私は、何かできることで恩返しをしたいと思い、私がプロデュースするフォーク・コンサート<歌とトーク満載のフォーク・コンサート フォーエバーヤング>を企画したのです。
そして今、私は“人生のズレ”を修復する、というテーマが私だけではなく、同世代の統一のテーマになりつつあると確信しています。というのは、5月15日(木)に銀座博品館劇場で<ブレッド&バターpresents―DRAMA & LIVE―「あの頃のまま」>という未来型ミュージカルを見たからです。このミュージカルは呉田軽穂こと松任谷由実が1979年にブレッド&バターに提供した「あの頃のまま」をモチーフにしています。
才能がない場合は、ひたすら努力してもらわなければなりません。問題は、才能はあるのだが、その才能が埋もれてしまっているケースです。こちらの方が、正直に言って問題です。
才能はあるのに結果をなかなか出せない人ってたくさんいます。よくケイコ場の横綱とか練習試合の金メダリストなどというたとえが使われますが、これらは要は“本番”に弱い、ということを言っているのです。素質があってケイコ場で強いのになかなかいい結果が出せないという相撲取りはたくさんいます。その典型が大関の魁皇でしょう。魁皇は素質からいえばとっくに横綱になっていてもおかしくはない力士です。しかし、現実は大関止まりです。魁皇は右上手を取ったらおそらく一番強いでしょう。しかしながら、相手力士もプロなので、なかなか得意の右上手を取らせてはくれません。ということで、得意の右上手を封じ込められてしまうことで、結局のところ自分の本来の“実力”を出せないのです。そのために結果が出ない、ということです。いくら才能があったとしても、それが出せないということは、才能が生かされていないということです。
かつて“怒れる若者の季節”と呼ばれる時代がありました。1960年代後半のことです。この時代に選ばれたアーティストが岡林信康であり、時代が必要とした歌が岡林の「友よ」でした。
続く70年代。70年代安保自動延長。それに伴い、挫折感がたくさんの若者たちの心を包んでいきました。そんな時代に選ばれたのが吉田拓郎であり、必要とされた歌が彼の「結婚しようよ」でした。
80年代になると、バブル時代となり享楽の果てに、全ての物差しが“お金”の世の中になってしまいました。この時代に選ばれたのが尾崎豊であり、必要とされたのが彼の「卒業」でした。
さらに90年代になると、バブルがはじけ、終身雇用制度が崩れ、就職氷河期を迎えました。そんなファジーな時代に選ばれたのがZARDであり、必要とされたのが彼女の「負けないで」でした。
このサプライズ・ゲストを仕掛けたのが、長野高校の同級生で現在、信越放送でテレビ局長を務めている麻山智晃君です。彼とは長野に行った折に時々飲む仲ですが、実は今回の一件には“伏線”があったのです。



